他人軸をくりかえしてしまう理由と自分ファーストに変わる方法

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逆をする実験

周りの評価を気にしすぎるあまり、仕事がしんどいんです

他人軸な生き方から抜け出したくて本をいろいろ読んできたけど…なかなか変われなくて

この記事では、そんな悩みに僕なりにお応えしようと思います。

僕自身、典型的な「周りの評価におびえるサラリーマン」でした。

大学院修了後に入社した大手メーカー研究職で

「スゴイ奴」って思われたい気持ちがひるがえって

「失望されたらどうしよう」という不安感に。

周りの目が気になり相談できず仕事が遅れ、でもちゃんとしなきゃと残業残業…

その結末として、適応障害・うつ病になり長期休職しました。

自分の他人軸っぷりに絶望し、

なんでここまで周りの目が怖いのか。

どうしてここまで承認欲求が強いのか。

どうしたら抜けだせるのか。

本に書いてあったことを試して、自分なりに咀嚼し…という試行錯誤の末に、

いまは格段に以前より「周りの目を気にして苦しくなる」ことが減りました。

今日は、僕自身の経験をベースに、こんなことをお話していきます。

  • なぜ他人軸をくりかえしてしまうのか
  • どうやったら、他人軸な生き方から抜け出せるのか
  • どうやったら、自分ファーストに生きられるようになるのか

ではいきましょう。

そもそも他人軸って、どんな言動だろうか

そもそも、どんな言動が他人軸だと思いますか。

たとえば、こんな感じでしょうか。

上司などの期待に応えようとする。

職場で浮かないように、目立つ意見をしない。

周りの許可がないと動けない。

「失望されないように」が仕事のモチベになる。

「褒められたい!」が仕事のモチベになる。

周りの気持ちを先読みして疲れる。

空気を読んで、「笑顔」や「無難なリアクション」を選ぶ。

思い当たるものがある方も、いるかもしれません。

ただ、ここで一つ。

他人軸でも、苦しい時と、苦しくない時がありませんか?

苦しい他人軸と、苦しくない他人軸

苦しくない他人軸ってのはこんな感じ。

期待に応えられてうれしい。ノリノリ。

褒められてうれしい。ノリノリ。

もっと期待にこたえたい。みんなに認められたい!

笑顔や無難なリアクションに徹しても、特につかれない。

僕自身、研究の成果があがっていた大学院の時なんてのはこんな状態でした。

こういうときは、他人軸でも問題なく、むしろ人生充実~でした。

一方で、

「失望されないように」と不安が強い。

周りの気持ちの先読みで疲れる。

笑顔や無難さで、いい人を演じる苦しさがある。

こんな他人軸は苦しいですよね。

同じ「周りを気にする」でも、ここまで温度差があります。

他人軸で苦しくなる本質的な構造

この違いの本質ってなんなのか。

それは

「本当はこうしたい」と「でもこうしなきゃ」のギャップの大きさ

だと思います。

「こうしなきゃ」「こうあるべきだ」っていう自分を戒めるルールのような気持ち、

つまり「マイルール」が自分の本音をふうじこめてしまう。

このマイルールと本音のずれが大きいと、苦しさになります。

たとえば、こんな感覚に覚えがありませんか。

本当は、あの上司きらい。顔も見たくない。
→でも、仕事だし、ちゃんと愛想よくふるまうべきだ。

本当は、わからないことを先輩に「教えてほしい」って言いたい。
→でも、周りの人の時間を奪うべきではない。質問するなら端的にするべき。

本当は、少なくてもいいから職場で弱音を吐ける親密な関係性が欲しい。
→でもここはビジネスの場。弱音を吐く前に、自分で解決策を考えてどうにかするべきだ。

「本音」と「べき」が、ずっとせめぎ合っているかんじです。

丸い風船がいたとして

「ほんとは〇がいいんだけど、ここでは☆になるべきだろうな」

って、型にはまろうとするほど、苦しくなって割れそうになる。

はじめから☆型の風船は、「もう少しとがった☆にならなきゃ」ってなってもそこまで苦しくない。

つまり、他人軸で苦しくなることの本質的な理由は、「他人軸であること」そのものより

「こうしたい」という本音と「こうあるべき」というマイルールのギャップが大きいから、じゃないかと思います。

こうあるべき、という無意識のルール

まじめで、周りをよく見て動く人は、

無意識レベルで無数の「こうあるべき」が発動されています。

真面目であるべき。

周りに合わせるべき。

時間を守るべき。

従順であるべき。

努力するべき。

明るくあるべき。

アンガーマネジメントするべき。

自分でどうにかするべき。

優しくあるべき。

寛容であるべき。

わがまま言うべきじゃない。

ずるするべきじゃない。

ラクするべきじゃない。

別にだれから言われたわけでもないのに、自分で自身に厳しいマイルールを課してしまう。

このマイルールが、他人軸をくり返してしまう土台になっているように思います。

なぜマイルールを、こんなに守ってしまうのか

では、なぜマイルールを、ここまで頑なに守ってしまうのでしょうか。

まず一つはマイルールがもう無意識にべっとり染みついているものだから、でしょう。

今の苦しさの要因が、まさか「自分に対して”自分で課した”まじめさ」にあるなんて思いもしません。

そして、もう一つ。

自分の中にある「こうあるべき」が苦しさの要因だと分かっていても、簡単にそれをゆるめられないとき。

その理由は、シンプルに

マイルールを守っていない自分になるのが、怖くてしょうがないから

だと思います。

何がこわいのか。

怒られる。

変な奴に思われる。

笑われる。

呆れられる。

嫌われる。

孤独になる。

こんなふうな、本音で振舞うと周りに嫌われるかもしれない怖さ、が根っこにあるのだと思います。

なぜ本音で振舞うことに怖さを感じるようになったのか

では、なんで、本音で振舞うことに怖さを感じるようになったのだろう。

それは2つの理由があると思っています。

一つは、親や社会から「〜しなさい」「〜はダメ」と言われてきて、

「マイルールを守らない=わがままで悪いこと」

「マイルールを守る=素直で良いこと」

こんな価値観が染みついた、という側面です。

うまれてから成長してきた過程で

わがままや迷惑をかけること=悪

が自分の中で「疑う余地のない唯一の正解」になったのだと思います。

そして、もう一つが過去の印象的な体験。

母親や家族、友達、先生たちとの関係性の中で。

「そのルールを守らなければマズイ、嫌われてしまう…」と感じる出来事が、積み重なった。

そうやって、マイルールを身につけ、強化されていったんだと思います。

マイルールは、かつての生存戦略だった

ということは、マイルールって

過去自分や大切な人(お母さんなど)を守る(傷つかない)ために、どうしても必要なルールだった

という解釈もできるのではないでしょうか。

〇型の自分が必死に☆型になることで、自分や大切な人が傷つくことから、身を守ってきた。

小さい頃の自分が生きるために、必死に身につけてきた生存戦略だった、ということです。

・友達から浮かないように、

・家族がバラバラにならないように、

・お母さんが笑ってくれるように、

自分が本音を我慢すればいいんだ。

そういう身の守り方が、当時の自分にはどうしても必要だった。

でも、今は、その「こうあるべき」が足かせになっているのかもしれません。

マイルールが、今の自分には古くなっているのかもしれない。

なぜなら、あなたは身心ともに成長してきたから。

マイルールは悪いもの、ではない。むしろ、かつての自分を守ってくれた味方だった。

ただ、いまの人生には、少しキツいサイズになっている。

それだけです。

どうしたらいいんだろうか

では、どうしたらいいのか。

結論を言えば

「こうすべき」マイルールをゆるめていくことが他人軸から抜け出す解決策になる

と考えています。

でも、カンタンではないです。

なぜなら、何十年も握りしめてきたルールだから。

時間をかけて、ゆっくりと溶かしていくものなんだと思います。

じゃあどうすれば溶かしていけるのか、ですね。

僕の経験もふまえて、ヒントを3つに分けて書きます。

僕自身、職場でメンタルダウンして以降、意識的に実践し、手ごたえを感じている方法です。

1. 苦しいとき、「べき」をキャッチする

まず、自分の本心とずれている「こうすべき」をキャッチすること、これが地味に大切です。

苦しいとき、「何を怖がっているのか」と自分に聞く。

どんな声が聞こえて、不安になってくる?

たとえば、こんなパターンです。

仕事が苦手で進まないとき
→「社会人ならつらいことも乗り越えるべきだ」っていう”べき”が苦しい。
→「苦手ですなんてそんなわがままいったら、周りをイラつかせるかも」って不安で本音を言えない

減らない業務量に疲弊しているとき
→「でも、周りと同じように頑張るべきだ」っていう”べき”が苦しい
→「ラクしたら、あいつはだめだ、って呆れられるよ」って声が脳内再生されて、本音を言えない

会社の仕事が楽しくなくてやるせないとき
→「仕事は趣味じゃない。そんなことより成果を出すべきだ」っていう”べき”
→「成果を出せなかったら、バカにされるんだろうな」って怖さで本音を言えない

この「べき」と、「怖さの声」に気づけるだけでも、だいぶ楽になれます。

「自分がダメなんじゃなくて、古いマイルールが動いているだけ」

というメタ認知ができる(自分を神様目線で俯瞰できる)からです。

2. 本当はどうしたいのか、毎回聞いてあげる

本当はどうしたいのか、自分に毎回聞いてあげること。

というのも大切です。

本当は、この仕事苦手です、ってだれかに相談したい。

本当は、休みたいし、楽したい。

本当は、成果とかより、楽しいことだけに没頭していたい。

なぜなら、うえで言ったように、他人軸の苦しさは「こうすべき」っていうマイルールが

「本当はこうしたい!!」っていう本音を封じ込めている構造だからです。

本当は、そんな「べき」なんか気にせず、

自分の意見を言えるようになりたい

自分の本音でふるまえるようになりたい

って思っているんですよね。

そのために、「じゃあ自分が今本当はやりたいことって何なのか」ってことを明確にしてあげるんdねす。

で、これもまた難しかったりします。

ずーっと、世間の声に合わせてきたし、そうすることが当たり前だと思って生きてきた人ほど。

でも「本当はどうしたい?」を、自分に聞きつづけてあげると少しずつ分かってきます。

これが、本音を大切にする生き方=自分軸への希望になります。

3. 半歩だけ、マイルールを破ってみる

そして最後のステップとして、

「本当はこうしたい」を、少しだけやってみるんです。

勇気を出して。

これは、正直めっちゃ怖いです。勇気がいります。

でもやってみるんです。

やろうと思うと、「うっ」と怖さを感じること。

怖い、ということは、周りの目とか常識(に洗脳された小さなころの自分)によって

「やっちゃだめだよ、嫌われるよ」

って脳内でささやくマイルールがあるってことです。

このマイルールを破り、タブーを犯してみるんです。半歩だけ。

たとえば、こんな半歩。

「これ苦手でやりたくないんです」って上司にぶっちゃけてみる。

今までなら出勤できるレベルの体調不良で、2日連続で有給取ってみる。

「こんなんじゃ怒られるんじゃ」ってレベルの資料で上司に報告してみる。

「いや、さすがにそれは呆れられるやろ…怒られるやろ…」

ってことを、あえてやってみるんです。

そして、もし半歩でもタブーを犯せたら、そのたびに小さくガッツポーズも。

「よくやった、自分!」と。

そして、過去自分を守ってきてくれたもう一人の幼いころの自分に、「大丈夫だったよ〜」って教えてあげて。

ここまでセットです。

・・・

・・・

・・・

どうです?

そんなんやって意味あんの?むしろ周りから怒られて、余計生きづらくなるやろ

って思いません?

これをはじめて聞いた時、僕も思ってました(笑)

多分この記事がここで終わると、多くの人は「はいはい」って感じで

また別の記事をググるんだろうと思います。

なので、ここから、実際に僕に起きた変化を書こうと思います。

タブーを犯しまくった結果、何がおこったか

僕はこの「人生を変えたきゃ、タブーを犯せ」という指令を

著名な心理カウンセラーの心屋仁之助さんの本から教わりました。

心屋さんはもっと極端で

  • 人にあいさつするな
  • 人に何かされても「ありがとう」というな
  • 親不孝して悲しませろ
  • 人に迷惑をかけまくれ
  • ずるしてラクして傲慢にふるまえ

そんな「人としてダメやろ」と思うことをまずやってみ?と言っています。

その心屋さんの言葉を免罪符にして(なにかあれば心屋さんのせいにしたろと思って笑)、

僕もこわかったけど、いろんなタブーを犯してみました。

その結果、どんなことが起こったかというと、今のところ全ての実験で

タブーを犯しても全く問題なかった

という結果になりました。

「問題なかった」っていうのは、

  • 心配していた「怒られるんじゃ」ってことが全くおこらなかった
  • むしろ、予想外にうれしい結果になることもあった
  • 怒られたり呆れられたりしたけど、だからといって何か生きづらくなったわけじゃなかった

というどちらの意味でもあります。

そうしてタブー犯しの回数を重ねるたびに、僕の中で

「こうするべき」を守らなくても、じつは大して悪いことは起こらないし、大丈夫なんだ

という体感的な気づきが降りつもっていきました。

これまで、「『べき』をまもらないとマズイ」と思っていた思い込みが

「じつは特に必要ないルールだった」っていうデータで上書きされていったんだと思います。

これは、誰かに「別に大丈夫だよ」と言われるんじゃなくて、

自分の肌身を通じて「大丈夫だった」体感したからこそだと思います。

身をもって「怖いことする→でも大丈夫だった」を経験したから、

強力なデータ上書きになったんだと。

で、そんなことを半年続けてきた今の僕(現在2人目の育休中)はどうなっているかというと、

たとえば、つい最近「あー、育休延長したい…でも職場のみんなになんて思われるかな…」って葛藤したときがありました。

たしかに、以前と同様に不安は沸き起こってくるんです。

一人目の育休の時は「さすがにわがままかな。ダメだろうな」ってことで延長希望すら言えず、復職しました。

が、2人目の今回は

「こわい…でも、多分大丈夫なんだろうな」

「モノは試しで一回上司に相談してみよ。それでムリって言われたら、それはその時また考えよ」

って、一人目の時は怖くてできなかった「もうちょっと休みたいという本心を上司に申し出る」を

エイや!ってできるような自分になれていたんです。

参考:罪悪感を乗り越えて上司に育休延長の申し出できた!って話【脱他人軸】

結果的に上司から「OKです」と言われ、あっさり延長することができました。

やっぱ大丈夫だった~

ってまたデータが一つ増えました!

・・・

って、かんじで少しずつ、世間の「こうあるべき」よりも、

自分の本音を優先できることが増えてきている手ごたえを感じています。

「自分ファースト」に生きるって、こんな感覚なんかな、って。

タブー犯しをたくさんやって気づいたこと

僕はメンタルダウン休職から職場に復職して以降、まあまあなタブーを犯しまくりました(笑)

で、その結果、気づいたことがありました。

それは、僕のようなバカまじめ人間は、早くから社会に調教されたことで、

「わがままを言うこと」の”試行”回数が圧倒的に少ないだけなんじゃないか

だからマイルールに縛られがちなんじゃないかということです。

僕はメンタルダウンして以降、会社に属さず自分のやりたいことをイキイキとやって生きる人たちと多く出会ってきました。

彼らは、みんなためらいなく「だれかたすけてーー」って無償のボランティアを求めるんです。

僕なら「こんなこと無料で人にお願いしていいのかな、さすがに迷惑じゃ…」

とか思っちゃうことを、当たり前のように人に甘えていたんです。

そして、驚くことに、彼らの周りの人は、喜んで無償でお手伝いしていました(僕もその一人でした)。

そして少しずつ分かったのが、彼らはこんな風に、

「わがままを言っても、全くもって問題ない、むしろみんな笑顔になる」

という体験を山のように積んでいて

「わがまま=別に悪いことじゃないし大丈夫」っていうことを心底で信じ切れているんだろうな、ということです。

彼らは圧倒的な数のわがまま実験を経てきたからこそ、他人の目に縛られないんです。

一方僕は、「わがまま言ったらどうなるか」体験する前に

「わがままはダメですよ」と鞭でたたかれ、そもそも試すことすらできなかった。

同時に、「わがまま言わず、”ちゃんと”やるべきことをやる」は何度も試し、

その度にほめられ、アメを貰ってきました。

そう。

ただ僕は「わがまましたら、どうなるか」という実験データが少ないだけ。

だったら、「わがまましてみたらこうなった」というデータを増やしていけばいい、ということ。

タブー犯しは、そのためのデータ集めだった、ということに気づいたんです。

おすすめの本

僕が読んできた本で、理解が深まったり、マイルールを破って他人軸から抜けだす糸口を見いだせた本を2冊紹介します!

興味があればぜひ読んでみてください。個人的名著です。

まとめ

他人軸で苦しくなる構造と、他人軸から抜け出し、自分らしく生きていくためのヒントについて僕の経験を交えてお話しました。

読んでくださりありがとうございました!

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