「ホワイト企業に勤めてるのに、なんでこんなにしんどいんだろう」
「恵まれた環境にいるのに、病むなんて自分がおかしいのかな」
「同じ会社の人はみんな頑張れてるのに、なぜ自分だけ…」
今、そんなふうに自分を責めていませんか。
僕もそうでした。
大学院を出て第1志望の大手メーカーの研究職に就職。
世間でいう超ホワイト・大企業。
なのに入社2年目に適応障害と診断されて、そこから1年半会社を休むことになりました。
この記事では、僕がホワイト企業でなぜ適応障害になったのか、経緯や原因を正直に書いていきます。
そして、元の職場に復職した今から当時を振り返ってあらためて思うことについても触れたいと思います。
- ホワイト企業(大企業・安定した会社)に勤めているのに、しんどい人
- 「恵まれてるのに弱い自分」を責めてしまっている人
- 休職してしまった自分はこれから大丈夫なのか不安な人
こんな方が、「同じようにホワイト企業で病む人がいた…」と少しでも楽になれたら嬉しいです。
ホワイト企業なのに、職場はストレスフルだった

僕が入社した会社は、大企業で、世間ではすごーいホワイトって言われています。
残業は多くないし、給与も悪くないし、福利厚生もしっかりしていました。
でも、正直言えば、職場の空気はいつもピリついていました。
どっかしらの上司が部下をロジカルに理詰めしていく声が聞こえたり、
大きなため息とともに「ちゃんとやってよ…」と呆れる誰かの声が聞こえたり。
「ありがとう」はほとんど返ってこないのに、
「もっとちゃんとしてくれ」という声がよく聞こえてくる。
役員報告の前には、詰められないための下打ち合わせが当たり前のように行われていました。
先輩たちも、みんなしんどそうに見えました。
夜遅くまで残業して、飲み会で上司の愚痴が出まくっていて。
でも誰もやめないし、みんなずっと踏ん張っている感じ。
「みんなどこかで折り合いをつけて頑張っている」
50代のOJT担当の先輩がそう言っていた言葉が、今でも頭に残っています。
僕はその職場で、ずっと戦闘状態のまま働いていたような感覚がありました
会社の外からは「ホワイト企業」に見えていても、
中にいた僕には、そのピリついた空気にびくびくしながら、
怒られないようにしなきゃ、と働いていることが多かったです。
なので、僕は世間でホワイトと言われていても、しんどくなる人は決して珍しくないと思います。
僕が適応障害になるまでの経緯
僕は入社2年目に休職しました。
ただ振りかえれば、入社したその初日から、職場に違和感があったんです。
研究所のフロアに入った瞬間、空気が張り詰めていて。
初日の挨拶ひとつとっても、自己紹介する時間があるわけじゃなく、
流れの中で先輩たち一人一人に「〇〇です、よろしくお願いします」って言ったら
「あ、ども」みたいな感じで、すぐ仕事。
「あ、こんな感じなんや」と思いました。
「詰められないための仕事」が続いていった

職場に慣れるにつれて、どういう場所かが分かってきました。
上司がどこかしらの部下を詰める声が聞こえてきたり、
役員報告前にみんなイラついた雰囲気になったり。
「大学院の研究室と同じや」と思いました。
教授に怒られないための資料作り。
社会に出ても、まったく同じことが続くんだって。
自分もその空気に流されていきました。
詰められないように資料を作り込んで、ミスしないようにって。
次第に、誰かが叱責される声が遠くから聞こえるだけで、胸がぎゅっと苦しくなっていました。
研究自体への好奇心も、次第に消えていった
最初は、仕事へのモチベーションがなかったわけじゃなかった。
研究している技術そのものに好奇心を持っていました。
でも、苦手な業務、周りのピリ付いた雰囲気にすこしずつ飲まれ、
いつの間にか「詰められないようにしなきゃ」という感覚に、すり替わっていきました。
これが苦しかった。ずっと不安と戦っている感覚でした。
苦手な業務を相談できなかった

僕は、他社と共同で進める技術開発プロジェクトの、メイン技術の開発担当になりました。
業務内容は、計画を立てて上司や他社さんに合意をもらって、外に実験依頼して、結果を吸い上げて、また計画を作り直して…みたいな。
で、この計画づくりが致命的に苦手だったんですね。
大学院では「ひらめいたら手を動かす」スタイルでやってました。
でも会社では「きっちり計画して、合意を取る」が求められる。
しかも、博士号を持って採用されたプライドもあって「苦手です」って言えなかったんです。
どんどん仕事がたまっていって、間に合うんかなという緊張状態がずっと続いていました。
「手戻りしないように」という上司の言葉が重かった

そして、上司が事あるごとに言っていた
「手戻りしないように」
という言葉もかなりプレッシャーに感じていました。
「進める前に考えつくして、後になってはじめからやり直し、なんてことがないように」という意味です。
その言葉で完璧主義が加速していっ多様に思います。
どれだけ作り込んでも「これじゃ怒られるんじゃないか」と不安になって、
修正に修正を重ねて、いつまでたっても仕事が終わらない。
でも上司にデキないやつと思われたくないから、相談もできない。
相談できない、仕事は進まない、新しい業務は増えてくる。
納期に追われるプレッシャーにさらされ続ける日々に、もう限界が近づいていたんだと思います。
出勤前に涙があふれて休職した
ある長期休み明け初出勤日の朝、会社に行こうとしたら足が動かなくなって、涙が溢れてきました。
思えば数ヶ月前から、妻にぽつぽつと弱音をこぼしていました。
でも「役員報告さえ乗り越えれば…」「研究計画書さえ出せれば…」と、
ずっと先送りして走り続けて、ずーっとムリしていたんだと思います。
その日の夕方、病院に行ったら適応障害・抑うつ不安状態と診断されました。
休んでいいのかという罪悪感とともに、やっと休めるという安堵感もあって、いろんな感情が渦巻くなかで、休職することを選びました。
ホワイト企業で適応障害になった原因
休職してから、ゆっくり自分の半生を振り返りました。
原因はひとつじゃなくて、主に4つの要素が重なっていたなと思っています。
①「できないやつだと思われたくない」という完璧主義
僕は、幸か不幸か、小さい頃から「できる子」でいることが多かったです。
いい成績を取って、褒められて。
みんなから「すごい」と言われることが多かった。
みんなからバカにされたくない、という気持ちから見栄をはる場面もたくさんありました。
だから社会人になっても、弱さを見せることができなかったんですね。
仕事が詰まっても相談できない。
苦手だと言えない。
ひとりで抱え込んで、どんどん消耗していく。
認められたい気持ちが強くて、助けを求めることが難しかった
これが適応障害につながった大きな要因のひとつだったと思います。
②仕事への意義がぼやけていった
「詰められないための仕事」が続くうち、
「この仕事、何のためにやってるんだろう」という疑問が湧いてくるようになりました。
ストレスを感じながら頑張った先に、何かあるわけじゃない。
ストレスを超えたとしても、またストレスしかないとしか思えなくなってきた。
踏ん張ることの意味を見失い、そこで、ぽきっと折れちゃったんだと思います。
③「恵まれているはずだ」という思い
これは今だから言えることですが、
「こんな恵まれた環境にいるのだから、しんどいはずがない」という思い込みが、
自分の本音を見えにくくしていた部分もあったと思います。
「みんなつらいけど頑張っているんだ」
「仕事が遅いのは自分の実力不足なんだし、頑張るしかない」
「こんな簡単なこと周りに聞いたら迷惑だ、自分でどうにかやるしかない」
「これでも職場環境は恵まれているはず。愚痴を言ってもしょうがない」
こう自分に言い聞かせて、違和感をずっとスルーし続けましたた。
ただ、復職してからじつは部署の中に休職経験者が他に何人かいたことを知りました。
しかもその人たちと話をしたら、全員口を揃えて「休んでよかった」と言っていました。
その方々とは「やっぱしんどいですよね、ここ」と言い合っていました。
④安心できる場所がなかった
面白いと感じることを興味のままに追究できること。
そんな無邪気な自分が受け入れられていると実感できる温かい人間関係。
あとになって、これが、僕の幸福感に重要な要素なのだと気づきました。
大学院のラボでは、それが満たされていました。
でも職場では、ピリついた空気の中で常に鎧をつけて戦闘状態。
好奇心が死んで、ただ怒られないための仕事になっていきました。
「安心できない場所で、本音とは違う自分を演じ続けること」の限界が、
適応障害として出てきたのだと、今は思っています。
休職中の罪悪感の変化
休職初期は罪悪感でいっぱいだった
休職することが決まったとき、まず頭に浮かんだのは罪悪感でした。
職場では表面的には元気なそぶりをしていたので、
「いきなり何で?」と思われているんじゃないか、と。
体は元気だし、早く復職した方がいいよなという焦りもありました。
上司には「ゆっくり休んでください」と言われていたのに、
脳内で「早く戻ってきてくれ」と思われてるんじゃと妄想して、苦しかった。
休むことへの開き直り
でも、治ったと思ってもまたがくんとメンタルが落ちることを繰り返すうち、
少しずつ、もうゆっくり休ませてもらおう、と開き直っていった感覚がありました。
本を読んで、畑を始めたり、気になる人に会いに行ったり。
家族と旅行に行ったり、友人家族とランチしたり。
最初は「休んでんのに遊んでいいのかな」とか思っていましたが、
先生に「いいですね!」と背中を押してもらってから罪悪感が減り、
ゆっくり心と体が回復していきました。
適応障害で苦しんでいるあなたへ
まず、「ホワイト企業なのに」という呪縛を外してほしい
「恵まれてるのに病むなんて甘えだ」と自分を責めている人もいるかもしれませんね。
ただ、世間から見たラベルと、中で働く自分の心は、まったく別の話だと思います。
ホワイト企業でも、職場の空気によっては毎日戦闘状態の人はいるし、
ホワイト企業でも、真面目で頑張り屋ほど一人で抱え込んでしまうことは全然あると思います。
あなたが弱いからではないです。
あなたがおかしいんじゃないです。
休んでいい。本当に、休んでいい。
今、休むことで罪悪感があったり、キャリアへの不安があったり、
「なんでこうなったんだろう」という自責があったりするかと思います。
ただ、そういう思考になりやすいこと自体が、症状のひとつでもあると、まず知っておくのがいいと思います。
「体が動かなくなった、生きるのが嫌になった」
——それはすでに、十分なサインです。
真面目に頑張ってきた人ほど、倒れるまで自覚するのは難しいと思います。
僕がそうでしたから。
とにかく、休んでください。休んでいいんです。
人生100年時代、長ーいマラソンのように考えると少しは楽になるかもしれません。
時に休憩は必要でしょう?
休職期間の過ごし方とメンタル状態の変化
僕が1年半の休職期間中に、どんな状態でどんなことをしてきたか、かなりざっくりしていますが、流れを紹介します。
| 時期 | 主なしんどさ | やっていたこと |
|---|---|---|
| 休職直後 | 罪悪感・「早く復職しなければ」という焦り | とにかく休む。散歩。家族との時間 |
| 1〜3ヶ月 | 復職・転職・退職すべてが怖い。逃げ場のなさ | 本を読み漁る(半農半X・ダウンシフト・自己理解・心理・スピリチュアル系)畑を始める。 |
| 3〜6ヶ月 | 生き方レベルで何か変えないといけない感覚 | 本の著者などピンときた人に会いに行く。支出を見える化し無駄を減らす |
| 6ヶ月〜 | メンタル回復の波が来はじめる | 自己理解を深める。人生の軸を言語化していく |
| 1年〜 | どうしても復職が怖い、かといって転職も怖い。八方ふさがり感 | 自己理解を深める。人生の軸を言語化していく |
| 1年半 | 怖いけど復職を選ぶ | 実験的に復職。いずれ脱サラしようと「自給農ライフ×情報発信」生き方へのシフト開始 |
基本的に、通常時は、メンタルは平常運転(のつもり)でした。
ただ、これからのことを聞かれたときや、診断書の期限が近づいてきたときにまたガーンと落ちて、休職期間を延ばすみたいなことを繰り返していました。
休んだ当初は、こんな長引くなんて想像していなかったです。
休んで3か月くらいたった時に、「あ、メンタル回復には波があるんだ」と一直線に回復しないことを体感で気づき、
すぐ復職しなきゃ、から、1年かかってもいいから気長に休もう、という考えにすこしずつ変わっていったような気がします。
休みの期間をふりかえると
- 散歩や趣味や遊びや家族時間で十分休みをとったり、
- 心理学などで物事の解釈や不安との付き合い方を学んだり、
- 本や人との出会いで自分の知らない生き方や働き方があることを知ったり、
- 自分がこれからどう生きたいのかを考えたり、
- 畑や情報発信など新しい生き方につながる一歩目をどうにかふみ出してみたり
そんなことをやる中で、
マインドが「もうムリしなくていいよ、自分」というゆるい方向に少しずつシフトしていったこと
そして、現実的に、新しい働き方や生き方にふみ出せている手ごたえを感じるようになったこと
これらの両輪で少しずつ未来に希望を感じられるようになり、メンタルも回復していったように思います。
復職した今、適応障害になったことをどう思っているか
今この記事を読んでいるあなたに言うことではないかもしれませんが…
僕はいまから振り返ると、適応障害は人生の大きな転換点になった、と割と本気で思っています。
ずっと世間の目や評価を気にして「デキる奴でいいやつ」を演じて動いてきたことに気づけましたし、
これまでの自分がいかに自分に厳しすぎたか、いかに”ちゃんとした大人”になろうとしすぎていたか気づけましたし、
もっとゆるく生きていいし、ずるくていいし、わがままでもいいと知りました。
自分が本当は何を望んでいたのか、これからの人生のミッションみたいなものに気づけましたし、
会社員以外にいろんな生き方や働き方をしている人にも出会えました。
適応障害は、「このままの生き方ではしんどいよ」と体が教えてくれたものだと、今は感じています。
あの泣き崩れた日、病院に行かず「デキる奴」であろうと走り続けていたとしても、きっとどこかで倒れていただろうなと思います。
もしかしたら、もっとひどい形でつぶれていたかもしれない。
だから、あの日、病院に行って勇気をもって休む選択をした自分に「よくやった」と言ってあげたいです。
病んでいた当時には、まさか数年後に「農的ライフ×情報発信」の形になっているなんて想像もしていませんでした。
今も会社員をしながらではあるけれど、以前よりはムリの少ない持続可能な暮らしを目指して、前を向いて歩けている現状を思うと、
適応障害になったことは、本当に、自分の人生のターニングポイントだったな、と思います。
まとめ|「ホワイトなのに」なんて思わないでいい
ホワイト企業にいても、人は病みます。
真面目で頑張り屋で、自分に厳しくて、助けを求められない人ほど、
気づいたときには限界を超えていたりします。
「恵まれてるのに弱い自分」なんて、責める必要はないです。
あなたが弱いんじゃなくて、そういう条件が重なっただけ。
まず休むことを最優先してください。
休んでいいんですよ。もっと自分に甘くていいんです。
自分を労わることを、どうか忘れないでください。
ということで。今日は以上です。
読んでくださりありがとうございました。
僕のメルマガでは、適応障害をきっかけに、これまでの生き方を見つめなおし、
会社に依存した暮らしから抜け出すべく、半農半Xで食を自給しながら自分らしく生きるための情報や、僕自身の試行錯誤をシェアしています。
興味があれば、下のフォームからお気軽にご登録下さい^^
(なんか違うと思ったら、サクッと配信解除できま~す)




コメント