僕はホワイトな大手メーカーに研究職として入社し、2年目でうつ状態となり適応障害で休職しました。
今は1年半の休職を経て復職し、約3ヶ月が経ちました。
今日の記事は、最近の僕の葛藤を書きます。
個人的な内容かもしれませんが、同じように悩むだれかに何かしら参考になるかもしれないと思い、書いていこうと思います。
最近抱えている葛藤
最近抱えている葛藤。
それは
「正直、会社から逃げたい」
「でも、人生の課題から逃げてもいけない気がする」
という葛藤です。
人生の課題、っていうのがよくわからないと思います。
ここからまずは書いていこうと思います。
僕のクセ
僕が今、自分自身の課題だとおもっていることは
「ある程度評価されている状態の時に、失望されることを恐れ、自分の弱さをだせないこと」
です。
もう少し丁寧に説明すると、僕はこの会社に「博士号」という肩書きを持って入社しました。
部署には僕が博士課程の学生だった頃の研究を知っている人や、僕がどんな成果を出してきたかを知っている、顔なじみの先輩もいます。
自分で言うのも恐縮だが、どちらかといえば、大学院での研究は成果を挙げていたほうです。
先輩は、僕が同じ部署に来たことを、僕の大学院時代の教授に喜んで話してくれていた、というくらいには期待されていました。
そもそも「博士号」取得者は企業では即戦力として期待されている側面があるんです。
というかんじで、ある程度「期待されている立場」であると認識して僕は働いていました。
でも、徐々に勝手に背負ったその期待に応えようとする僕の気持ちが、自分自身に刃を向け始めました。
僕は、上司や先輩に「デキる奴」として認められたくて、「デキない奴」と思われることを過剰に恐れ、
うまく仕事が進んでいなくて、本当は質問や相談したいのにできず、どんどん仕事を抱え込んでいきました。
しかも表面的には、困っていないふりをしていました。
職場の雰囲気もあったと思います。
大手メーカーの研究所ということもあり、かなりピリつきがあって、皆自分で淡々と仕事を勧めている感じ。
「聞きたいけど、みんな仕事やってるし、自分でやるべきだよなぁ」
そう思わざるをえなかったのです。
でも、仕事の納期が近づくプレッシャーがどんどん重くなり、でも相談できないものだから、僕は最終的には、抱え込み過ぎて、病んでしまいました。
こんな感じで、僕は、ある程度評価されている立場であるときに、「デキない奴」と思われたくないがために、人に弱さをさらけ出せず仮面をつけてしまう癖があるんです。
「嫌われても、失望されてもいい。相手がどう思うか、それは相手の課題だ」
と割り切れたらいいのに、それができないんです。
くりかえされる挫折の根っこには人生の課題があった
そして人生をふりかえると、人生で何回かあった自分が精神的に苦しくなる場面では、いつもこの癖が根っこの原因だったことに、休職中気づいたんです。
それに気づき、僕は、これは人生を通しての僕の乗り越えないといけない課題だ、じゃないと、今後も同じことが繰り返されてしまうぞ、と。
人生の主人公感が増して生きる勇気が湧いてきた
そう思えたとき、僕の中では、すごいメラメラと生きる勇気が湧いてきたのも確かなんです。
当時は、休職中で、これからどう生きていけばいいか悩んでいて、なかなか先に希望が見えない焦りもあったものですから。
「適応障害になったのは、この人生の課題に気づくためだったのか」とハッと目覚めた気持ちになり、
自分の人生が、まるで物語だったかのように思えてきて、そして一気に主人公感が増してきたんです。
ワクワクして、この課題を乗り越えよう!と思ったんですね。
復職以降、実践練習を重ねてきた
復職して以降、僕は「人目を気にせず、自分の弱さ、本音を出す」というところを勇気を出して実践してきました。
評価を気にする、っていうことは、要は人の目を過剰に気にしている、ということだから、いかに人目を気にせず自分の本音を出せるかがカギです。
例えば、スーツ出勤をやめてみる、とか、
部署移動を願い出る、とか、
脱完璧主義のために、6割くらいの出来で報告してみる、とか。
人によっては「ん?そんなの普通にやれることじゃね?」
って思うかもしれませんが、どれも僕にとっては、とても勇気がいることでした。
怒られないかな、何か悪く思われないかなって、不安でしたが、エイヤッ、とやってみて、
「大丈夫だった!」という経験をたくさん積むことができました。
でも、まだまだ僕のクセは残っています。やっぱり今でも、上司の顔を伺ってホンネをつぐんでしまうことが多々あります。
その負荷がかかりすぎたのか、最近また不安状態や睡眠障害がでてしまい、2週間ほど休ませてもらっている状態なのですが(本末転倒ですがw)。
「逃げちゃいけない」という思いが強くなってきた
要は「逃げちゃいけない、これは自分の課題だから」という思いに次は縛られているんじゃないか、ってことに最近気づきました。
休んで思ったんですが、やっぱ僕は、もう今の会社は本音では辞めたいんだと思います。
やっぱり雰囲気とか、業務の多さとか、すごいストレスが高い。
逃げたいんです。本音では。ウワァと投げ出して走り出して、逃げたい。
でも、一方で、「逃げちゃいけないんじゃないか、だってこれは人生の課題であり、逃げてもどっかでまたやってくるはずだから」
という感じで、「乗り越えたい」って思っている自分もいるんです。
半分は逃げちゃいけない、という使命感でもあり、半分は、乗り越えて弱さを出して自然体で生きている自分で在りたい、と願っているんです。
使命感や義務感100%なら、それは本音を抑圧する「べき」思考にとらわれている状態なのですが、
いかんせん、最近は、「乗り越えるような存在でありたい」であるような気もしてきたんです。
でも、体は悲鳴を上げたので、そこは自分ファーストで休みました。
とはいえ、身体はやっぱしんどいよ~と言ってきたので(頭痛やお腹の重さ)、思い切って上司と先生に「休みたいです」と言って休ませてもらっています。
ここは、すごい自分の成長と実感しました。
自分ファーストになれているし、復職当初に掲げた目標「勇気を出して頑張らない」を実践できているぞ、と自分を誉めてあげたいです。
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ちょっと、話の落としどころが分からなくなってきました。
ひとまず、こんな感じで悩んでいる、という報告でした。
終わりです。
読んでくださりありがとうございました。



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