適応障害で休職|退職や転職と本気で迷って復職を選んだ理由

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メンタリティ

こんにちは。

僕は大手メーカーで入社2年目に適応障害と診断されました。

そこから1年以上休み、退職するか復職するかめちゃくちゃ悩んだ末に復職を選びました。

そして、今、復職して3ヶ月がたちますが、睡眠障害で2週間ほど休ませてもらっています。

今日は、適応障害で退職するか復職するか迷っている人にむけて、

なぜ僕が退職ではなく復職を選んだのか

について書こうと思います。

そもそも僕が復職を悩んでいた理由

僕がいた職場の部署で、少し人事異動があったと聞いていました。

それは僕の元上司(ストレスを感じていた方)が横の部署に異動になり、そして、僕もプロジェクトごと違う部署に異動していました。

直接的なストレス因子の一つだった元上司からは物理的に距離を取れたことは恵まれていました。

でも、それでも復職に気が進まなかったのは、

  • 部署(というかフロア全体)のピリついた雰囲気が怖い
  • (僕の業務である)研究をやる意義を見出せない

という理由があったからです。

部署(というかフロア全体)のピリついた雰囲気が怖い

文字通りですが、病んでしまった当時、ピリついた雰囲気自体を敏感に察知し、それがストレスだったんですね。

みんなそれぞれ納期を抱えていて、どこからともなく舌打ちやら、ため息やら、お叱り声やら、聞こえてきて、そのたびにドキドキしていました。

まぁ、当時はすでに症状が出ていたがゆえにそこまで敏感になっていた節もありますが。

部署異動したとはいえ、プロジェクトは変わっていないので、関わる人やフロアはほとんど変わりません。

復帰するとしたら、「またあの雰囲気の中に戻るのかぁ」と思うと、気持ちがなえてしまっていました。

仕事をやる意義を見出せない

こんなこと言ったら多くの先輩社会人に「そんなのみんなそうだ!それでもやってんだ!」と怒られそうですが。

仕事である研究をする目的に、心から共鳴できないんです。

僕の研究は究極的には二酸化炭素排出量の削減につながるものです。

頭ではその社会的意義や、研究する新しい技術の学術的意義はわかっています。

でも、心が乗らないんです。

休む前、心が乗っていない自分に気づいてしまってから、

この「やっていることと思っていることのギャップ」にどうしようもなく違和感を感じてしまっていたんです。

人生の時間を使って、自分はいったい何をやってんだろう…的な。

ま、よく聞く、あれですよね。

しかも業務は自分が苦手な計画や合意形成の資料作りなど。しんどかった…

復帰しても、結局また同じプロジェクトなわけで、あの研究業務に戻ったところで、またやりがいのない日々を送るだけになるだろうなぁ…

と思ってしまい、気持ちが前に進まなかったんです。

なぜ退職を選ばないのか

それやったら、もうやめたらええやん。転職しろよ。

って思います。自分でも。

でも、僕は辞められなかった。辞める勇気が出なかった。

なぜなら、色々グチを言っても自分の専門的知見を活かせるプロジェクトであり、待遇も悪くない。

要は、辞めるなんてもったいないから、っていう一言に尽きます。

「ホントにやめんの?こんなにも好条件がそろってるのに?」

っていうキラーフレーズが湧いて出てきて、なかなか辞める勇気が出なかったんです。

僕が復職を選んだ理由

この、辞めたい気持ちと辞められない気持ちの葛藤の末に、復帰を選んだのは、

  • 悩んで堂々めぐりで苦しむくらいなら色々試してみようと思った
  • 憧れをやめて、かっこいい自分をあきらめた

という理由につきます。

何やかんや迷って、あるタイミングで、心に従って「復職しよう」と決めました。

読んでいただけばわかりますが、カッコいいことはありません。

むしろ、未練たらたらで、潔くない、そんな決断でした。

詳しく書いてみます。

悩んで堂々めぐりで苦しむくらいなら色々試してみようと思った

また部署のピリつきにストレスを感じるかも、とか

どうせプロジェクトにやりがいを見出せないだろうな、とか

得意を活かせず、ワクワクしないんだろうな、とか。

こうした堂々めぐりの不安は、頭の中で勝手にわき上がる妄想にすぎない

という当たり前のことにあらためて気づきました。

まだ起きていないことに悩んで、前にも後ろにも逃げられない八方ふさがり感に苦しむくらいなら、

もうひとまず復職してみて、それが本当に妄想なのかどうか試してみたらいいかな、と思えるようになったんです。

で、どうせ復帰するなら、休んでいるときに学んだ課題の分離や、心屋仁之助さんの「あえて逆をする」というような、

自分らしく生きるための指令を、サラリーマンのうちにどれだけ実行できるか、試してみようと思いました。

それはそれで、いろんなしがらみのあるサラリーマンの時にしかできない貴重な経験になるだろうと思ったんですね。

どうせ、一度は辞めようと思った会社なわけだし。ダメでもともと精神で軽く開き直った感じでした。

病んだことをきっかけに脱サラした本の著者に憧れていた

僕は、本で読んだような、会社で病んだことをきっかけに脱サラした人に憧れがありました。

そんな勇気ある人たちに比べて、自分は適応障害になるまでしんどかった会社にまだしがみつこうとしている。

そんな自分に、悔しさや情けなさ、不甲斐なさのような自己否定感も感じていました。

復職したら負け、みたいな気持ちがあったんです。

かっこよくない自分も自分なんだとあきらめた

それほどの強い脱サラへの憧れもまた、復職を拒む理由になっていたんですが、

もう、今の自分はやっぱり脱サラする勇気はない、

あの本で見た人たちのように潔く辞める決断ができない、

あるとき、そんな、格好悪い自分も含めて自分なんだともう認めることにしたんです。

いや、”認める”みたいなカッコいいもんじゃなくて、もはや”あきらめた”って感じです。

もうしょうがない、と。

で、そうすると、ちょっと肩の荷が下りた感じがしました。

ここで辞めるって言いきれない自分でも、いいじゃないか、と。

強がって「辞める辞める」と言いながら、辞められない、自分はそんな愛くるしい奴なんだ、と。

心のままに決断をするということ

そんな風に思えてきたら、とたんに、別に無理して辞めなくてもよくね?って冷静に思えるようになりました。

だって、自分の心が「辞められないよ~怖いよ~」って言ってるんだから、

普通にそれに従ったらええやんって。

結局ここの決断でも、人の目を気にして「辞めると英断できる自分」であろうとしていたんですね。

あきらめたおかげで、自分のホンネにようやく立ち戻れた感じでした。

ゼロヒャク思考ではなく実験的マインド

こんな感じで僕は退職ではなく、復職しようという気持ちになりました。

で、ずっと悩んでいたくせに、こんな割り切った気もちになれたのは、きっかけがあったんです。

人生は実験

それは、「人生は実験だ」というマインドになれたときでした。

過去を振り返れば、僕はずっと、人生に答えがあるかのように生きてきました。

そして、その答えをずっと自分の外側に求めて生きてきました。

それは僕が周りの評価を得ること、勝手に期待を背負うこと、評価を失うまいと頑張ること、そんな生き方にあらわれています。

答えがあると思ってたから、ついつい、「正解か間違いか」の2択、つまりゼロヒャクで物事を考えることが無意識の癖になっていたんですね。

でも、約30年生きてきて心の病気になって、ようやく「ゼロヒャク」で生きてきたことに気づき、

人生に正解はない」という言葉が、骨身にしみるようにやってきました。

人生の間違いってなに?

正確には、自分の人生において正解か間違いかなんて考えても意味がない、不毛な行為だと気づいたんです。

例えば、「会社を辞めて転職して、もし今より環境が悪くなったらどうしよう」という不安を僕は抱いていましたが、

それは、環境が悪くなったら「その選択は間違いで、とるべきではない選択だ」という思考が根底にはあったわけです。

でも、間違いかどうかなんて、どうやったら分かるのか

そもそも何をもって間違いとするかも、冷静に考えてよくわかりません。

病気になるような環境の会社だったら間違いってこと?

じゃあ、僕は新卒で入った今の会社で適応障害になったので、大学院の時の就活は失敗だった?

いやいや、もしかしたら大学院に進学したことが失敗だった?

いや、もっと前にさかのぼれば、大学受験をしたとき?

高校受験?

あるいは小学校で転校したことが間違いだった?

親が塾に行かせたこと?

・・・

・・・

こんな風に、そもそも何が間違いか、それは何が原因か、なんて考えても意味がない。

間違いか否か、なんてゼロヒャクで考えること自体に意味がない、ってことに自分なりに納得したんです。

実験的マインド

「正解か間違いかなんて、ない」を違う見方をすれば、「どれも、すべてが途中経過」ということです。

転職して、今よりキツイ環境になっても、それはただの途中経過。

次につながる1点にすぎない。だから、その時は淡々とまた次の動きを取ればいい。

復職して、しんどかったら、またその時に考えて次の一手を打てばいい。

もちろん、感情が伴うので、「淡々と」がいつもできるとはかぎりません。

当然、迷いや苦しさもあると思います。

でも、何をしてもただの「途中経過」。

死ぬまですべてがプロセス

だから、「ぜーんぶ実験だと思えばいいんだ」ってあるとき気が付いたんです。

そう思えた時、とても、心が軽くなりました。気楽になりました。

だって、全部が人生における途中に起きたひとつの「結果」なんだから、

その結果に対して次の「こうしたら、ああなるかな」の仮説をたてて、

また実験をして、結果を見て「検証」して、そしてまた考えて、仮説をたてて…

をくり返していけばいいだけなんだから。

そう、腑に落ちたんです。

そのときになって、ようやく僕は「よし、心に従って、ひとまず、復職してみよう」って思ったんです。

終わりに

ということで、今日は、適応障害になった僕が復職することを決意した理由について書かせもらいました。

多分ここまで読んでくれた方は、本当に悩んでいるんだろうと思います。復職するかどうか。

僕がいえることがあるとすれば、「心に従ってるんなら何を選んでも大丈夫」ということです。

だって、心に従わずフタしてきたせいで、パンクして適応障害になったのだから(僕はそう解釈しています)、

まず心の叫び(あの人が嫌だーとか、あの業務は嫌だーとか)はムリしない範囲で聞いたほうがいいと思います。

で、その上で動いて出た結果はどうであっても

大丈夫です、それは一実験の一結果にすぎないから」って自分に言ってあげてください。

心が少し、軽くなると思いますよ。

僕も日々、そうやって、不安になる心を母のように撫でてあげています。

ということで、今日はここまでです。

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