仕事はこれまで、「やらないといけない」という思いでほとんどやってきました。
でも、そのモチベーションじゃやっぱしんどくなることが多い、
とメンタルダウンして気づかされました。
先月より復職し、またもやそんな風に働こうとしている自分に気づきました。
あ、同じこと繰り返しそうだと。
今、この記事は、朝の通勤電車で書いています。
さっき、この電車の中でふとこう思いました。
「今日は、一日の半分は、後先考えず、ただ楽しいことだけやってみたらどうだろうか。」
と。
どうせ、この人生は、実験だし、ゲームなんだから。
誰かに「ちゃんとやりなさい」と怒られても、
誰かに「みんながお前みたいになったら世の中はまわらない」と言われても、
誰かに「で、それに何の意味があるの?」と半笑いで言われても、
誰かに「別に楽しくやるのはいいけどさ、仕事は趣味じゃないからさ」と呆れられても、
誰かに「報告書書いて」って言われてなにも書けなくて怒られても、
もういいや。
誰かに怒られたり、呆れられたり、叱られたり、馬鹿にされるのは確かにいやだけど、
誰かに怒、呆、叱、馬されさえすれば、楽しいことだけやって生きていけるんだ、
という見方もできなくもないしさ。
そういえば、“誰かに”って、誰ですか?笑
考えている時、とくに特定の誰かの顔が浮かんでいるわけじゃないです。
自分の頭の中で、どこからともなく湧いてくる、“何者かの声”、です。
つまりそれって”自分の声”、だったり。
もしかしたら、上司とか同僚とか親とか友人とか家族とか、
なんとなく誰かをぼんやり思い浮かべているようで、
結局は、自分でつくりだした。「怒、呆、叱、馬」なのかもしれないですね。
まぁでも、そんな妄想をしてしまうような「誰かからの言葉」が、実際に過去、あったのかもしれないけど。
けど、今、この電車の中では、誰もそんなことは言ってきていません。
横の年配サラリーマンが耳元でささやいてきてる…とか言うわけありません(当たり前ですが)。
自分の頭の中の勝手な囁きですね、確実に。
・・・とにかく、今日は、「午後は、やりたいことだけやる」を誰かの囁き”から死守したいと思います。
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