心地よい暮らしの一歩目は”しなきゃ”に気づくこと、二歩目はルール違反をすること

※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

メンタリティ

こんにちは。

僕はこのブログや無料メルマガ講座で、

お金で全部買って消費する暮らしから、半農半X的な“つくる”暮らしへシフトしながら、

自分のホンネに従って、気持ちのいい人生を選んでいきませんか、と

そんなことを僕自身も模索しながらお伝えしています。

「つくる暮らし」にも、しんどさはある

先日、メルマガの読者(Aさん)とやりとりする中で、こんなやり取りがありました。

僕「Aさんが暮らしのなかで、何か“自分でつくっていること”ってありますか?」

Aさん「毎食じゃないけど料理かな。毎日じゃないけど掃除も。」

おお!

料理も、掃除も、今の時代ならお金でかえますよね。

でも自分でやっているからこれは暮らしをつくっていますよね!

で、僕はとくに「毎食”じゃないけど”毎日”じゃないけど”」という言葉を見て

「あ、、これ、めっちゃ大事かも」と思ったんですよね。

というのも、“つくる暮らし”って聞くと、ちょっとストイックなイメージを持ちません?

実際、たしかにつくる暮らしをやりだすと、どこかの時点から、

「お金はなるべく使っちゃいけない」という感覚が発生し、

多少苦痛でも「やらなきゃな」って、自分を追い込んでしまうケースもよくあります。

とくに料理や掃除みたいな、習慣的なものほど

  • 「毎日ちゃんとやらなきゃ」
  • 「手を抜くのはよくない」

みたいな、“義務感”のようなものが出てきやすい。

何を隠そう、僕もそうだったから。

つくる暮らしには“バランス”が大切

でも、Aさんは”毎日じゃないけど”と、すでに自然なかたちでゆるめているように見えました。

これ、めっちゃいいバランス感覚やなあと思ったんです。

暮らしを“つくる”って、別に完璧に毎日やる必要はないですよね。

というか100%できたら、それはもう完全自給自足です。

ほぼ不可能ですし、そもそもそこを目指しているわけではありません。

だから大事なのは、心地よさ<義務感にならないバランスを見きわめる。

その判断軸が、自分の感覚。だからこそ”ホンネ”人生に近づけます。

”しなきゃ”という感覚になって、なんかしんどいなとなったら、いったん放置。

また気が向いたときに、自分のペースでやればいいんですよね。

僕も、夕飯後の食器洗いが気乗りしない時、翌朝まで放置します

(たまに妻に怒られます笑。

そして、そんな僕を見かねた妻がイヤイヤやろうとしてたら

「いやいや、明日多分やるから、そのままでええで~」と言います)

だって、気乗りしないままやると、それはそれで自己犠牲感が出てきて、

妻に対して「オレばっかやってるやん、なんやねん」と結果的にぎくしゃくする、ことが多かった(経験済みw)

むしろ、そのくらいの“ゆるさ”の中に、

ホンネとつながる暮らし方のヒントがあるな~、

Aさんのコメントを見てあらためて気づかされました。

「ホンネで生きたいのに、しんどい」のはなぜ?

ここで少し立ち止まって考えてみたいのが、この感覚です。

「ホンネで生きたいのに、なんだかうまくいかない」

「もっとラクに、心地よく生きたいのに、苦しい」

こう感じている人、実はすごく多いんじゃないかなと。

僕自身もそうです。

その原因って、他人からの期待や社会の圧力のように思いがちなんですが、

じつはもっと近くにあるんじゃないかと、最近気づきつつあるんですよね。

それは、自分の中にある“マイルール”です。

マイルール=自分を縛っているもの

たとえば、

  • 「毎日ちゃんと自炊しなきゃ」
  • 「家はきれいにしておかなきゃ」
  • 「部屋が汚いと、人としてダメな気がする」
  • 「疲れてても、ちゃんと働かなきゃ」
  • 「迷惑をかけないように、頑張らなきゃ」

こんな思い、日々の生活のなかで無限にありません?

僕はあります。

僕の場合はとくに職場で、

「”仕事デキるマン”、”周りに気を遣えるマン”にならなきゃ」

と思い続けていました。無意識に。

これらは一見、当たり前のことのようにも見えるけど、よくよく見ると、

全部”しなきゃ”という自分の思い込み、つまりは、「マイルール」なんですよね。

自分で自分に課したルール。

だから、別に当たり前じゃない。

「まだ遊びたい」とわがままに生きたい子供のような存在と、

「ゲームは1日2時間だけ、それ以上はだめ」と叱る親みたいな存在が、

自分の中に2人共存している、ってことですね。

ホンネ人生への一歩目はマイルールへの気づき

やっかいなことに、こういうマイルールって、自分で握りしめているくせに、気づきづらい。

僕が”無意識に”職場でデキる奴の仮面をつけていたこともそうですが、このほかにも面白い経験がありました。

職場の最寄駅から会社までの15分の道のり。

2年前から僕は日傘をさすようになりました。

なぜなら、同じ道のりを歩くサラリーマン男性たちで、日傘をさす人が増えていたからです。

”日傘男子”を認知した時、僕ははじめて、これまで

「男は日傘なしで行かなきゃいけない」

という謎ルールが自分の中にあったことに気づきました。

流れ出る汗に不快感を感じつつも、日傘なしで歩く周り大多数の目を気にして、

”無意識に”「男が日傘を指すのは違うな」と感じていたんですね。

今となっては、マジで意味不明なルールと思えるけど、

当時はホント、日傘無しで歩くことになんの疑問も持っていませんでした。

ですが、今となっては、通勤中の”日傘男子”がさらに増えています。

皆きっと自分のマイルールに気づいたんでしょうね。

そして、実際に傘を指してみると、めっちゃいい!汗もかかない!最高!

って心地良さをみんな感じていることでしょう。

こんな経験も思い出し、心地よい暮らしへの一歩目は、

まず、隠れたマイルールに気づくことやな、と最近強く思うようになりました。

ホンネ人生に近づく2歩目はルールを”小さく”破ること

ただ、マイルールに気づけても、その後に大きな壁があったりします。

その「マイルールを破ること」です。

僕の場合、「日傘をさす」くらいだったらすぐできましたが、

たとえば「職場へはスーツで行かなきゃ」というマイルールを破ることにはとてつもない壁を感じました。

スーツは暑苦しいし、速乾性もないし、革靴は足が痛いし、できるなら私服で通勤したい(ちなみにルール上は何の問題もない)

でも、周り大多数がスーツだから、怖い。

「”ちゃんとしろ”と怒られたり、だれかに批判的に見られるんじゃないかな」と思っちゃうんですよね。

ルールを大きく破ろうとすると怖い。

なので、小さく破ってみるんです。

僕は、いきなり靴も服もぜーんぶ私服とはやらず、

ズボンはスラックスに似た黒チノパン、上は黒系のTシャツ、靴は革靴と、

ビビりながらスモールスタートしてみました(笑)

で、結果的に、だれからも何も言われなかったんです。

「あ、ルール破っても大丈夫やん」と、

目の前の壁は、実は幻だったとわかった僕は、翌日には、

Yシャツには目もくれず、クローゼットのTシャツを一瞬で手に取っていました。

結果的に、スーツより速乾性が高くて涼しいスタイルで、爽やかに通勤できるようになりました。

こんな感じで、いきなり大きく出なくてもいいんです。

小さくても、タブーを犯し「マイルールを破っても自分は大丈夫なんだ」と体感できれば、

自分の心地よさ、つまりはホンネで生きる暮らしには、大きく近づけるようです。

次のルール破りの目標は「スニーカーで通勤する」です(笑)

おわりに|あなたの「しなきゃ」は何ですか?

自分が心地よく、ホンネで生きる一歩目は

日常のなかの「しなきゃ」のマイルールに気づき、

そして二歩目は、そのルールを小さく破っていくこと、だと思います。

そのプロセスを通ることで、”ちゃんとしなきゃ”の裏にある、「本当はこうしたい」というホンネの願望に気づくことができます。

ぜひ、日々のなかで

・どうもムリしている感覚

・自己犠牲になっている感覚

・我慢している感覚

・人にイラつく感覚

などがあれば、そこを起点にして、自分の中に隠された”マイルール”がないかなと、観察してみください。

僕の無料メルマガ講座では、こうした自分のホンネに従って生きる人生へとシフトしていく知恵や情報を発信し、

仲間とともに、他人の目や評価に縛られてモヤモヤした生き方から脱する生き方を模索しています。

興味がある方はぜひ気軽に👇からご登録下さい~。

今すぐメルマガ講座を読んでみたい方は↓のフォームからご登録ください^^

 

「半農半Xでゆるやかにホンネシフト」無料メルマガ講座




メンタリティ
たけちゃんをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました