こんにちは。大手企業研究職として勤めるも、適応障害になり脱サラを悩むただなおです。
最近、妻とこれからの生き方、働き方をよく話し合っています。
僕は今後の人生、お金にしばられないで自由にやりたいことして生きていきたい、
これまでの生き方から大きく舵をとって、自給自足とか半農半X的な農のある暮らしに憧れる僕。
そんな僕の意見を、葛藤はありながらも、いつも大きな心で聞いてくれる妻。
とはいえ、価値観の違いから、今後の家族の話をするときはたいていぎくしゃくしていました。
それでももう年が変わり、もうそろそろ何か動きださなきゃ、と思い始めているこの頃。
じつは妻もこの春から仕事を変えようとしています。
家族としての次の動きを決めたい。じゃないとずっと宙ぶらりん状態。
今日、妻と改めて話しました。そして結果的に今日の妻との話し合いは、自分の心を大きく揺らすこととなりました。
そしてタイトルにあるとおり「オレって、不安だから動けないんじゃなくて、動きたくないから不安を探しているのではなかろうか…」と思うに至ったのです。
「あえて不安ばかりを見ているように思う」
妻からそのようなことを言われました。
とはいえ、その言葉とは裏腹に、今日の妻の語り口はいつもと違ってとても明るかったんです。
妻としては大きく環境が変わりうる僕の理想の生き方を、これまではかなり渋っていました。
ですが今日話すと妻は、すごい前向きに捉えていました。
- 僕が休職となり無給になっても、妻の収入と投資の利益だけで総資産がほぼ変動しなかったこと
- 最悪引っ越しをすれば家賃ゼロの家(空き家となっている僕の亡き祖母の家)があること
- 今は申請すれば傷病手当をもらえる立場で、いわばお金のことを心配せずに色々と試せる期間であること
妻はこれらを踏まえて、こう話してくれたのです。
。。。
休職後に脱サラするにしても、正直、お金に困ることはほとんどないうえに、家賃ゼロの家というセーフティネットもある。
もう、お金のことは何も気にせず、休職させてもらっている間に色々ためせるやん!
やりたいことと近しいことをやっている人にSNSでつながって話を聞いてみたり、
貸し農園(実は今年から始めたw)でつながったフリースクール経営している知人に無給でもいいからやってみたい企画を相談してみるとかさ~
ほんまなんでも試せるやん!
なんか私もワクワクしてきた!楽しくなってきた!!
なんでもやってみたらさ、たとえ無給でも色んな経験ができるじゃない?
残りの休職期間どんどんやってみたら!?
。。。
妻の話はこんな感じでした。とても前向きでした。
ほんまその通り。ぐうの音も出ない。
それでも僕はその言葉を素直に受け取れず、脱サラによって妻にかかるストレスとかお金の不安を言い始めたんです。
そして妻はそんな僕の話にこんな言葉を返してくれました。
「あえて不安ばかりを探しているように見える」
「ワクワク感に従って生きたいといいながら、不安ばかりを見てるように思える」
「お金に囚われたくないといいながら、すすんでお金の不安に絡まりに行っているように見える」
妻は苦笑いしながら、オブラートに包んで表現してくれていました。
ですが当の僕は…
グサッ。ぐさぐさぐさー。
ってかんじでした。
まるで思春期の息子と母親のような
「なんでもやってみたらいいやん!無給やとしてもいろいろ経験できるやん」
まず、その妻の言葉に僕の心は大きく揺らされました。
めっちゃ反抗したくなりました。
「わかってんだよ、そんなことは」
と吐き捨てたくなりました。
でも同時に、そんな風にあらがおうとしている自分に気づき、
「あー…これはまるで反抗期の母と息子だ」とも思いました。
結局、妻に言われた「なんでもやってみたらいいやん」は、ホントにその通りで、これまでずっと自分が自分にかけていた言葉だったんです。
でも、怖くてできなかったんです。
いや、インスタ開設するとか、農ボランティアするとか、小さいことはやりました。
でも、コミュニティをつくるとか、ワークショップ企画するとか、ホントにやってみたいと思っていることは何もしなかったんです。
いや、できなかったんです。ただただ怖くて。
うまくできない、恥をかくかもしれないことが恐くて。結果を突き付けられるのが恐くて。
で、最近ではそんな「あとは試すだけなのに、そうできない雑魚な自分」を直視したくなくて、その自分を見て見ぬふりしていました。
面倒くさいから、と自分に言い聞かせて、趣味程度の畑作業とかやってました。
だからこそ、妻にそこを突かれてイラっとしたんだと思います。
あぁ、そんな中学生みたいな自分を自覚して自分に嫌気がさすし、妻にも申し訳なくなるし、なんかモヤモヤしています。
でもやっぱ、そうだよな。
でもやっぱ、動かないと何も始まらんよな。たしかに。
なにも、いきなり自分が主催しなくてもいいじゃないか。
知り合いの催しに参加したり、便乗したりする形でも。
うん少しずつ試してみよう。そうだ、実験してみよう。
不安を探していたのかもしれない
ダラダラ書いたが。
で、結局、今日の妻とのやり取りのなかで一番強く心を揺らしたのが
「俺はもしかしたら、動かなくていいためにわざと不安を見つけているのやもしれぬ…」
という思いです。
たぶんそうだ。いやきっとそうだ。
なんかやたらお金のこととか家族の行く末とかを不安視していたけど。
これ、結局自分が動かなくてもいい、都合の良い理由をあえて見つけて、
んで「ホントはやりたいんだけどなぁ、でもお金がさ、家族がさ…」
って言ってる奴だわ。
そんな自分に気づかせてもらいましたとさ。
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