昨日、僕はこれまでの「他人の目」を気にして自分の気持ちを抑えてきた生き方を抜けだすぞ、と
自分にむけた意思表示として、ビビりながらも「職場でTシャツ姿ですごす」という快挙wをやってのけました。
>>【脱・他人軸人生の一歩目】Tシャツ出勤を決めてやりましたよ、えぇ。
なんや、やっぱり誰も気にしてへんやん!!
ある程度予想はしていたし、ぜったいどこかの本で読んだことあるような一節ですが、
実際に肌身を通じた体験からこの言葉がでてきたことは大きな糧となりました。
なぜなら、今朝僕は、ほぼためらいなくクローゼットからTシャツを取り出していたからです(笑)
たかがTシャツ、されどTシャツ
YシャツとTシャツをクローゼットからとっかえひっかえしていた昨日に比べると
今日は、Tシャツをとる足取り(手取り?)の重さがまったく違いました。
ベランダに干しているYシャツには目もくれず、なんのためらいもなくクローゼットへ行き、
「どのTシャツにしよかな、昨日妻にも言われたし、首はよれていないほうがいいよな…」
とか考えていました。
なんてことや。
おれ、昨日と全く異なる悩み方をしているじゃあないか。
どのTシャツにしようかな、なんて年頃の男子の悩み方じゃないか。
たかが1枚のTシャツが、ここまで人を変えてしまうのか、と思わされました。
”はじめて”の圧倒的な壁
僕はこの経験を経てあらためて気づかされたことが2つあります。
1つが、はじめてのことは”1回目の壁”が異様に高く見える、ということ。
でも、エイヤで超えてみれば、なんだ、意外とたいしたことなかったな、となること。
多分これまでの人生でも幾度とあったはずのこの経験ですが、
またこうして再度確認することができました。
周りの目に縛られているようで…
もう一つが、これまで僕は「ちゃんとしなきゃ」と頑張っていて、
「周りに『ちゃんとしてない』って思われるんじゃないか」と気にし続けて生きてきましたが
そんな自分が、実は一番自身のことを「ホントはちゃんとしていない奴だ」って思ってるんじゃね?
というか、そんな奴だってことを知っているんじゃね?
って思ってしまったことです。
周りの目を気にしてきた、っていうのは、つまり
そんな”ダメそうな奴”の素顔を、
仮面をつけてなんとか”ちゃんとしてる風に”ひた隠そうとしてきたってことかも。
で、なんで隠そうとしてきたかといえば、
ちゃんとしてない=悪
だと思っていて、
というか、
”ちゃんとしてない”
って言ってる時点で、
ラクをしたり、大多数と異なることをダメなこと、と勝手に認識していたんじゃね?って。
これを、今回の一件と、メルカリで届いた心屋仁之助さんの本をさっき読んで痛感しました。
周りに対して「ちゃんとしてなくてもええやん、もうほっといてくれよ」と願っている自分が、
実は一番、頑張らないこと、周りからはみ出ることを罪だと思ってたんですねぇ。
きっとこれまでも、だらけている誰かを見て僕は「ちゃんとやれよ」って心のどこかで思っていたんでしょう。
「Tシャツ1枚着ること=よろしくないこと」
とかたくなに信じていたのは僕で、
だからこそここまで心が揺さぶられたのでしょう。
「なんだ、自分以外、誰もTシャツ出社のことを悪だと思ってなかった…
自作自演の苦しみやったんか…ワロス」
という気づきは、僕にとってとても大きなものでした。
そして、今日も僕はユニクロTシャツで軽やかな汗をかきながら出勤してきました。
あ~、なんて素敵な日だ。
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