約2年前、適応障害(後にうつ病とも診断)となって1年半休職した後、段階的復職プログラムを経て元の職場へ復帰したものの
約4か月働いてまたも体調を軽く崩し、約1か月の休職。
今は、またそこからの段階的復職プログラムの最中(図書館への疑似出勤)でして、もうすぐ職場に戻る段階が迫っています。
この1,2か月は、とても濃かった。
ここ2か月でやったこと
何が濃かったかと言えば、まず人生で初めて本を出版できました。
これが、本当に濃かった。
なんかね、すごい没頭できたんです。
とくに、自分の経験を棚卸しして箇条書きしたものを、本という体系だった構成に組み立てていく過程がとても楽しかった。
改めて、自分は、論理というブロックをがちゃがちゃと組み立てること、が得意なんだと思いましたね。
- どんな構成にしたら分かりやすくなるかなぁ、とか
- ここもっといい言い回しがあるんじゃないかなぁ、とか
- なんか上から目線じゃなく、もっと等身大な表現にしたいなぁ、とか
グーグルドキュメントと向き合っていると、無意識にこんなことばかり考えていて、それが苦痛じゃないんですよね。
むしろ、楽しい。没頭できるんです。
こんな風に、文章表現とか論理構成を考えるのが、息を吐くように(とまではいかないかもですが)自然にできてしまう自分の才能なんだと、改めて気づきました。
そして、本を出せた後、出版を祝して、これまた人生で初めて「YouTubeライブ」なるものをやりました。
「出版記念ライブ」です。
なぜやろうと思ったかと言えば、仕事の自給講座のメンターに「やってみましょう!」と言われたからです。
こんなこと、自分から「やろうやろう!」と言い出せるほど、まだ僕は仕事の自給マインドに吹っ切れていません(笑)
でも、メンター的な人からいわれると「はい、やります!」と勢いでいえちゃうのも、われながらフッ軽だな、というか、すごいなと思うところです。
これは、結構昔からそうなんですよね。
国際学会の学生主催イベントで、先輩に「司会やってくれない~(もちろん英語で)?」と頼まれたら、
直感で、衝動的に「いいですよ~」と二つ返事で快諾してしまったり(しかも、そこまで後悔もなくやれちゃう)。
ま、こんなノリで、今回も未知なるライブの準備を粛々と(あわあわしながら)やって、当日は最大4人の方に参加いただき、楽しい時間を過ごすことができました。
また、さらに、ノリと勢いでこれまでブログやYouTubeで隠していたくせに、顔出ししました。
これは誰に言われたわけでもないんですが、ライブするなら顔出したほうが盛り上がるっしょ、みたいな軽い感じのノリでやりました。
意外と怖さは少なかったです。ライブのアーカイブ動画が公開されている今も、予想していたほどの怖さはないです。
われながら不思議ですね。
それから、この2か月の間で、ライブを含んだイベントをたしか3回ほど企画・告知しました(ライブ以外お客さんがゼロだったので非開催orボッチ開催で録画するだけでしたが)。
これまでサラリーマンとして、「会社へ行けばお金が支払われる」システムが当たり前だと思って生きてきた自分が、
まさかこうやって自分で有料イベントを企画・設計して、宣伝するなんて...
1年前の自分では想像もつかなかったことです。
なんか、ありきたりだけど、少しずつでも動いてれば、人生面白い展開になるもんだなぁ、なんて思ったりしています。
やっぱ休むのが怖かった
ですが、これらの経験や、やっぱり会社を休んだからこそなんですよね。
今回の休みは、適応障害・うつで長期休職からの復職を経て、そこからの再びの休職だったわけですが、
やっぱ、休むかどうするかと考えていた時は悩みました。
- 長い休みを経て、ようやく働きだしたばかりなのに、
- 一見すると元気に見えるのに、
- 仕事の負荷なんかほとんどない(ノルマゼロだった)のに、
- まだ、どうにか頑張ることができるレベルの体調不良なのに、
こんなので休んだら
「ラクしやがって」とか
「甘過ぎじゃね?」とか
「あいつ、仕事を何だと思っているんだ?」とか
「職場に迷惑かけすぎやろ」とか
そんな風に思われるんじゃないかな、白い目で見られるんじゃないかな、って
もうそれはそれは色んな妄想的不安が頭をかけめぐったわけです。
でも。
でも。
色んな怖さがあったけど。
今回は、その怖さを感じたまま、それでも自分の「休みたい」という心の本音を無視しないでいようと上司に体調不良を申し出ました(病院に行けばきっとまた休職を提案されるだろうことも伝えた)
だって、2年前は、そのまま心の本音を無視したせいで、メンタルダウンしたわけだったので。
ここで同じことをしてしまったら、この2年で学んだことが何も活かされていないことになる。
自分はもう「勇気を出して、ムリせず、自分ファーストで生きよう」と決めたはずだった。
ここでまた人目を気にした選択をしてしまったら…。
ここでこそ、「自分軸で生きる」を体現する時じゃないのか。
そんな気持ちで、最終的に、怖いまま上司に話をして、そのまま病院へ行き、休職診断書を出してもらいました。
何を選択したって賛否両論あるもの
でね、こんなことを書いている今でさえも
「こんなこと記事にして、だれかに痛烈に批判されるかもなぁ」
と不安になっています。
ただ、一方で、かつての悩める自分がこんな記事を見たらきっと勇気をもらえるはずだとも思うんです。
だから、何を選択しても、そしてどんな意見をしたとしても、結局は賛否両論あるものなんですよね。きっと。
体感ですが、「賛否」のうち「賛」の数が勝っていたとしても、数少ない「否」の声が圧倒的に強すぎる。
それは実際に誰かから書かれていなくて、自分の頭の中にこだましているだけであっても、強い。
強すぎるんです。
この「否定されることへの恐怖感」は、多分、人間の生存本能に由来した怖さなのでしょう。
だから、もう怖くなっちゃうのは仕方ない。
で、最近僕はその怖さをエイっと超えて、できるだけ本音で動いたり、本音をブログでさらけ出してみてわかってきたんですが、
思っていたほど批判はされません。
というか、そもそも、人はそこまで自分の意見を気にしていないんだろうな、と(ある意味わかり切った事実に)再認識しつつあります。
批判が目立つのは、一部の有名なインフルエンサーだけ。
そんな「否」の声が目立つインフルエンサーでさえ、たくさんの「賛」の声も届いているんですよね。
だから。
もう最近は、「もう怖さを感じるのは、仕方がないことで、当たり前のことで、人間として適切な機能が働いているおかげなんだ」
的な、ちょとした諦めの感覚でいることで、最近は以前よりも怖さを乗り越えるハードルが下がってきているような気がします。
まとめ
ということで、特にまとめる話でもないのですが、ここ2か月を軽く振り返ってみて思うことを書いていみました。
強いてこの記事を通して読者の方に伝えたいメッセージがあるとするならば、
「休みたい」と体が叫んでいたら、思い切って休んで上げてください。
心配ごとの大抵は起きません。
ここで休む選択をしても、休まない選択をしても、いずれにしても、賛否は巻き起こります。
であるなら、自分の本音を優先してあげたほうが、ちょっといいかも…
と思えてきたら、この記事を書いたかいがありました。
ということで、以上です。
読んでくださり、ありがとうございました。
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