「仕事がつらい」
「頑張る生き方に限界を感じつつある」
そうおもっていませんか?
実は僕も、数年前、まったく同じことを考えていました。
約4年前、憧れて入社した大手企業で、成果を出して上司や周りに認められようと必死にやったその先で僕は病んでしまい、適応障害(後にうつ病)と診断されました。
これまで人生の成功法則だと思っていた「頑張る」が通用しないことを悟った僕は、
そこから「頑張らない生き方」にシフトチェンジしようと決めました。
でも、当時は「頑張らない」で生きていくことなんてできるのか。
人生がダメになっていくんじゃないのか、そんな静かな怖さがありました。
だから、同じような経緯をたどって生き方を変えた人たちの本やSNSを調べまくりました。
そして、今僕は、少しずつ「頑張らない」人生へと歩みを進めています。
この記事では、適応障害をきっかけに
- 「無理をしない生き方」を模索してきた僕自身の実体験
- 僕が見つけた頑張らない生き方の具体的な実現方法
をお話しします。
僕が頑張らない生き方にシフトチェンジした経緯
まずはじめに僕自身の話からさせて下さい。
僕は理系大学院を出て、大手メーカーの研究開発職に就き、期待に応えよう、デキるやつであろうと、疑いなく頑張る道を選んできました。
進学校から国立大学、大学院、博士課程、そして研究職というレールの上を歩いてきた僕にとって、
「頑張ること」はこれまでの人生を前に進めてくれた、揺るがない成功法則だったのです。
ただ入社当初から、職場はどこかピリついた空気に包まれていました。
上司や先輩は常に忙しそうで、余裕はなく、誰かの失敗や遅れはすぐに空気を重くしました。
そんな環境の中で、苦手な業務があっても「自分でどうにかしなければならない」と思い、残業してなんとか帳尻を合わせようとしました。
人に聞いて「デキないやつだな」と思われるのが怖かった。
忙しい人に声をかけて「迷惑だな」と感じられるのが怖かった。
だから、分からないことも、つらいことも、自分の中に抱え込みながら、どうにか頑張り続けました。
「ちゃんと結果を出さなきゃ」
「新人なんだから当然だ」
「期待されて入ったんだから」
そんな言葉を自分に投げかけながら、仮面をかぶり、自分にムチを打って走り続けていました。
けれど、最後は結局メンタルダウンし、休職を余儀なくされてしまったんです。
この経験を経て僕は、「ああ、もう『頑張る』ではやっていけないんだ」と悟りました。
これは、これまでの人生を支えてきた「頑張ればうまくいく」という成功法則が、通用しなくなった瞬間でした。
だからこそ、はっきりした答えがあったわけではありませんが、
「頑張らない生き方」という言葉に、僕の意識は自然と向かうようになりました。
同じく会社で病んで生き方を変えた人たちの本を読みあさり、
ネットで「頑張らない生き方」を検索しまくり、
「誰か、ムリなく生きられる方法を教えてくれ」と藁にもすがる思いでした。
頑張らない生き方が怖かった理由
ただ正直に言えば、頑張らない生き方に憧れながらも、それを実際に選ぶことは、僕にとって強烈な恐怖を伴うものでした。
なぜなら、僕の中では
「頑張らない=怠ける=うまくいかない=だめなこと」
という思い込みが、深く根を張っていたからです。
評価されてきたのは、いつも「努力している自分」でした。
成果を出すために多少しんどくても踏ん張る自分。
そうやって頑張るからこそ人生がうまくいくものだと信じてやってきました。
そして、「頑張る人こそ評価されるはず」という思いも根深くありました。
だから、もし手を抜いたら、見放されるんじゃないか。
人から「あいつはダメだ」と言われるんじゃないか。
そんな不安が、頭の中を何度もよぎりました。
休職中の「頑張らない」が簡単だった理由
ただ、休職中にやった「頑張らない」はすごーく簡単でした。
家庭菜園を始めたり、海や川へ行ってぼんやりしたり、会いたい人に会いに行ったりしました。
ただただやりたいことをやって、心も落ち着いていました。
なぜかといえば、これは成果も評価も求められていなかったからです。
人目を全く気にする必要がそもそもなかった。だからです。
でも同時に、「これは休んでいるからできているだけで、社会に戻ったら無理だろう」という感覚も拭えませんでした。
復職した職場で試した「頑張らない」実験
でも生き方を変えたり、自由に生きる人たちが書いた多くの本では口をそろえて「仕事も頑張るな」と書かれていて、中には
「会社で怠けろ、休め、自分ファーストでいけ」と書いている本までありました。
そんなことして人生が好転するなんて、なかなか信じられるものではありませんでした。
でも。
もう以前のようには頑張れない。
そう感じた僕は、復職してから、勇気を出していろいろ実験してみました。
- 前々から嫌だったスーツ出勤をやめたり、
- ちょっと体がだるかったら、即座に休んだり、
- 残業ばかりの職場で意地でも定時ピッタリで帰ったり、
- 前ならぜったい報告しないレベルでの仕上げ状態で上司に報告したり、
- 仕事がなくても自ら仕事を探さずぼーっとネットサーフィンしたり、
- とくに理由もないけどずる休みしたり、
- 心身が少し不調だなと感じたら早めに病院へ行き数週間休ませてもらったり
などなど。
「まわりに何か言われるんじゃないか」
「まわりからの評価が下がるんじゃないか」
と落ち着かず、とてもこわかった。
それでも、とにかく、「頑張らない、なまける、さぼる、自分ファースト」を徹底的に繰り返してみました。
「頑張らない」実験による変化|頑張らない生き方=ラクではなかった
こうした小さな実験を重ねるうちに、周りの目を気にする度合いが、ゆっくりですが確実に弱まっていきました。
恐怖に負けず壁を超え続けたおかげで「意外となんともならないな」という手応えを肌身で感じるようになり、
以前なら一つひとつ過剰に反応していた上司の言動や同僚の視線も、あまり気にならなくなっている自分がいました。
その中で気づいたのは、頑張らない生き方とは、決してラクを選ぶことではなく、むしろそれは、
「嫌われるかもしれない恐怖を引き受けてまで、自分の体調や気持ちを優先する」
と決める生き方でした。
それを深く深く理解しました。
「怖いけれど、こちらを選ぶ」という選択を何度か積み重ねたことで、
以前ほど自分をムチ打たなくても生きていける感覚が芽生えてきました。
「頑張らない生き方」を実現する方法
ただ正直に言えば、僕はそこまで割り切れるほど図太くはなれませんでした。
やっぱ、周りの目が気になるし、頑張らないを実践すること自体のストレスも相当なものです。
僕には完全に人の目を気にせず生きるには、まだ時間がかかりそうだと感じました。
こうした精神的な「頑張らない」マインドをつくり上げるには時間を要すると思います。
なので現実的な”暮らし”の中にも「頑張らないで生きる」を実現するための変化を起こす必要があると思うのです。
つまり、頑張らない生き方を実現するための現実的なやりかた。
それが、消費することを前提とした暮らしから、「小さなつくる暮らし」へのシフトです。
まず、①暮らしにかかる支出を下げること。
そうすると稼がなければならないお金が少しずつ下がり、その分イヤイヤ仕事から抜けだせるチャンスが増えます。
また、②消費する暮らしから、少しでも自分でつくる暮らしへとシフトすることです。
つまり、暮らしを自給的なものへシフトして、「暮らしのお金への依存度」を徐々に下げていくこと。
たとえば、家庭菜園、DIY、自炊、とかです。
お金に頼らず、自分で暮らしの要素を生み出すのです。
僕は家庭菜園y田んぼを始めたことで、生活への安心感がわずかに変わりました。
野菜やお米を自給できれば、その分稼がなくてもいいし、何より、つくる過程そのものが豊かで暮らしの彩になるのです。
これは実際にやってみて分かった、意外な「作る暮らし」の魅力でした。
そして、働き方についても、いくら支出を減らし、つくる暮らしにシフトしても、結局8時間労働じゃ「頑張らない生き方」はなかなか実現が難しいでしょう。
将来的に、③自分の価値観に合い、得意なことを活かせる仕事を自分で生み出すこと、つまりは個人事業主や起業が理想です。
ぼくはいま、本業でサラリーマンをやりつつも、個人事業の準備を進めています。
このブログでの発信もその一環です。
「頑張らない生き方」を実現する具体的なステップ
まとめると、
①暮らしにかかる支出を下げる
②消費する暮らしから、少しでも自分でつくる暮らしへとシフトする
③自分の価値観に合い自然とできる得意なことを活かせる仕事を自分で生み出す(準備をする)
このステップです。これが僕がたどり着き今まさに実践中の「頑張らない生き方」を実現する具体的なステップです。
すぐに大きく変えなくてもいいんです。
「頑張らず無理ない生き方」に近づける選択肢をこうやったたくさん増やしておくことが、頑張り続けなくてもいい余白になると実感しています。
頑張らない生き方は、劇的に変わるものではなかった
ここまで来て思うのは、頑張らない生き方は、ある日突然スイッチを切り替えるように実現するものではなかったということです。
辞めるか続けるか、安定か自由かといった極端な二択を迫られるものではなく、その間に無数のグラデーションがありました。
暮らしを少しずつ整え、支出を見直し、無理のない働き方へすこしずつ軸をずらしていく。
地味で目立たない積み重ねかもしれませんが、僕は今たしかに「これ以上、自分を削らなくてもいい場所」へと近づいている実感があります。
もし今、頑張り続ける生き方に限界を感じているなら、いきなり大きな決断を下す必要はないと思います。
他人からの目という恐怖を「自分ファースト」で実験的に打ち破りながらの”頑張らないマインド”を養いつつ、
暮らしや働き方で現実的な頑張らない暮らしへの足取りを少しずつすすめる、
そんな戦略的なやり方がいいんじゃないかなと思います。
少しずつ自分に即した”減速”の選択を重ねることで、生き方は静かに書き換えられていくのではないかと、今の僕は感じています。
まとめ
ということで、今日の記事では「頑張らない生き方」についてお話しました。
頑張らない生き方に惹かれながら怖さを感じているなら、その感覚はとても自然だとおもいます。
それはあなたがこれまで真面目に頑張って生きてきた証拠でもあります。
今すぐ答えを出さなくても大丈夫。自分にとって無理のない方向を探していけばいいと思います。
僕は半農半Xという考え方を軸に、頑張り続けなくても生きられる形を模索しています。
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