上司の評価が下げたくないからなかなか頼れず…でもそんな生き方が最近ツライ…
期待を裏切りたくなくて、失望されたくなくて、嫌なことも断れない…
承認欲求がつよくて完璧主義になってしまう…
今回は、こんな悩みに対する私なりの対処法について
最近、わたし自身の人生の浮き沈みを振り返ってみて
・「デキル自分」という周りの評価を下げたくなくて、嫌なことも歯を食いしばる
・「博士卒」というプライドが邪魔して人を頼れず、就活うつになる
・できない奴と思われたくなくて上司に相談できない、で、刻々と迫る納期に怯えるも、でも完璧主義がでて仕事がなかなか進まない、頼れないの負のループでダウン。
こんな感じで
- 「デキル自分」という鎧
- 周りに凄いと思われたい「承認欲求」
- 過去の実績による「プライド」
こんなものが邪魔して、自分の首をしめる場面がとても多いことを自覚しました。
というか、自分が落ちるとこまで落ちるときは、ほとんどがこれらが原因でした。
これからの生き方を考えるうえで、やはりこの承認欲求やプライドと上手くつきあう術を身に着けないといけんなと感じてまして…
ここ最近、こうした感情との向き合い方、対処について色々と調べる中で、自分なりの結論がまとまったので、皆さんにも共有したいと思います。
承認欲求の正体はドーパミンだった
「人から称賛されたい」
「上司にホメられたい」
「評価を得たい」
「すごいと思われたい」
このような承認欲求は脳内物質の一つ「ドーパミン」によるものです。
なんと、承認欲求は、脳から分泌される物質なのです。
これ、私は結構衝撃でした。
ドーパミンは何かを達成したり、成長を感じたりするときに分泌されるもので「やったー」とか「嬉しい」みたいな昂った感情になります。
また、ゲームや遊び、趣味などで「面白い!」とか「楽しい」といった感覚も。
そして昇給、昇進や、社会的地位や富など、いわゆる「成功」したり「周りから評価されている」と感じる幸福感もドーパミンが関連します。
ドーパミンによる幸福感は長続きしない
ドーパミンのほかにも、幸福に寄与する主要な脳内物質として、セロトニンやオキシトシンがあります。
セロトニンは、自然の中で感じるリラックス感や、運動による爽やかさ、健康でありマインドフルネスでのんびりとした心地よさに関連する物質。
オキシトシンは、家族や仲間とのつながりやスキンシップで感じられる安心感や、赤ちゃんに感じる癒しなどに関連する物質。
これら2つの幸福感は時間とともに減ることがありません。
一方で、ドーパミンによる幸福感は逓減していくのです。
たとえば、年収300万円だったのが転職したら500万円にアップしたらめっちゃうれしい!
なのに、翌年にはその500万円は「普通のこと」になり下がり、同じ500万円をもらってもうれしさが減ってしまう。
皆さんも経験ないでしょうか?
少し表現を変えると…ドーパミン由来の幸福感は「もっと、もっとちょうだい」的な幸福なのです。
承認欲求を例にとると…
・実験で新しい装置を使えるようになった!嬉しい!
・つぎは研究で新しい発見をした!周りからも凄いと言われて嬉しい!
・つぎは論文を論文を出せた!嬉しい!
・つぎは社内で優秀研究賞を受賞した!嬉しい!
・つぎは大きな国際学会で受賞した!嬉しい!
・つぎは、2本目の論文、3本目、4本目…国内外の研究者から称賛されて嬉しい!
こんな感じでしょうか。
そして論文を4本も出しているころには、1本の論文を出せたときの喜びは、1本目を出せた時よりも減っているでしょう。
もっと成果がほしい、もっと周りからみとめられたい!もっと、もっと!
こうなっていくわけですね。
もっともっと、で形成されたプライド
ドーパミンは自己成長の源でもあります。
承認欲求にも駆り立てられながら仕事に励むなかで自己成長も実感するからこそ仕事に精がでるものです。
純粋な「楽しい!」「嬉しい!」「おもしろ!」「やったー」で仕事に励むうちに次第に成果が出だし、どんどん周りからの称賛も増え、気づけば「デキル自分」が出来上がってしまうわけですね。
プライドができてしまう。
「デキル自分」がデフォルトになってしまったが故に、プライドが邪魔してなかなか人に聞けない、相談できない。
「デキル自分」の評価を下げたくないから、ボロをだしたくないから、なるべく挑戦しない、という保身に入ったり。
期待を下げたくないから全然やりたくないことも引き受け、結果的になかなか仕事が進まず。
でもプライドが邪魔して頼れない、もっといいものを、と完璧主義になってしまう。だから仕事はたまる一方。
デキル自分だから、また別の仕事の依頼がやってくる。
嫌だ。やりたくない。。。でも引き受けちゃう。
「デキル自分」の鎧はカンタンに脱げない。
成果を挙げるほど、鎧は重なり大きく重くなり、ホントの自分がどこかもう見えなくなってしまった。
挙句の果てに、メンタルダウン。
これがまさに私自身でした。
「デキル自分」の鎧を脱ぎ去るためには
私がずーっと求めていた答え。
いろいろ調べました。調べまくりました。が、結局これはこの答えに尽きるようです。
自分の苦手なこと、弱みを人にさらけだしていく。少しずつ。
「これ、できないんです。わからないんです。教えて下さい」と言ってみる。
「自分は○○が苦手で…」と相談してみる
「最近○○に悩んでいて…」と打ち明けてみる。
この積み重ねが、鎧を脱ぐためには大切なようです。
プライド高い僕は
「デキル自分だから、周りに人がいてくれている」
「デキない自分を見せると、馬鹿にされる」
とつい思ってしまいます。でもこれは、どうやら思い込みなようです。
デキない自分を見せても、周りは何も変わらない。むしろ、より親身に、近づくケースがある。
これは私自身経験があります。
博士時代の就活でプライドのせいでうつ状態になった末に、それまでなかなか頼れなかった後輩たちに「めっちゃ悩んでるんよ…」と悩みを告白しました。
その結果、馬鹿にされるどころか、めちゃ共感されて、親切にESのフィードバックなど、手伝ってくれました。
さらに言うと、その後の研究で、自分を慕って後輩がめちゃ質問に来てくれるように。
聞くと「前までの先輩は、雲の上の存在過ぎて近寄りがたかった」とのこと。
そうか。勝手に自分で「弱みを見せたら終わり」と思い込んでいただけだったようです。
えてして、プライドが高い人は自分自身がデキない自分を認めてあげられていないことが多いようです。
自分自身が、デキない自分、苦手なことがある自分を許せていない。
「弱みを見せる」これを積み重ねることは、そのような思い込みを「思い込みだ」と気づくことを重ねてくことでもあります。
「聞いても大丈夫、完璧じゃなくて大丈夫、デキない自分でもOK」
そのように自分自身がデキない自分を認め、少しずつ許していけるようになる。
その末に、「プライドの高さが邪魔して、頼れず、我慢してしまう日々がツライ」から抜けだせるのだと考えます。
自分が隠している弱みはもうバレてるぜ
私自身が、いろいろ調べる中で、ひとつ印象的な言葉がありました。
それは「自分が見せたくない弱さ、デキない自分は、周りにバレているぜ」ということ。
これ、結構ぐさりと来ました。と、同時に結構救われた気持ちになりました。
私は上司に「博士卒だからデキル奴」と思われたくて、苦手な計画書や研究マネジメント業務の悩みをほとんど相談できませんでした。
相談したとしても、「悩んでいるですよね…」ではなく、質問することめっちゃ端的に絞ってスマートに要件を淡々と聞く、みたいな。
デキない自分を悟られないように、せめてものデキるやつ風を装って質問してました。
めちゃ強がりですよねww
ただ今思えば、上司はおそらく私が計画づくり苦手なの分かっていたように思います。報告結構おそいし、指摘されると(おそらく無意識に)嫌な顔していたでしょうし。
うん、ぜったい分かってたと思います(笑)
だから、普通に相談すればよかったなと、今なら思います。
おそらく質問いったら「お、やっと聞きに来たか~ww」みたいに思うだけだったと思います。
こっちが聞いたとして、絶対、上司の評価さがらんよな。だって、弱み隠していること、気づいてるんやもん(笑)
ってな感じで、この「自分が隠している弱みはもうバレてるぜ」的な前提でいると、相談することへのためらいがかなりラクになるな~、と救われた気持ちになりました。
承認欲求とのうまい付き合い方
そして最後、プライドの起源でもある「承認欲求」と、どう付き合っていくのか。
これについても、自分の中で結論が出ました。
成果が出たら即感謝
これです。
は?となりますよね(笑)
説明します。
オキシトシンをブレーキにする
承認欲求が満たされるような場面、例えば成果が出た時、フォロワーが増えた時、副業で20間円稼げた時など。
こういう時「成果が出たー!」「20万円売り上げたー」と喜ぶのは、ドーパミン100%の幸福です。
先ほども言ったように、ドーパミンによる幸福感は「もっとちょうだい、もっと!」的であり、幸福感はすぐ減っていきます。
だから僕らは、その承認欲求のままに、もっと上を目指し、そしてプライドの鎧が出来上がるのです。
なのでここで重要なのは、すぐ逓減するドーパミン的な幸せと、逓減しないオキシトシン的な幸せを紐づける、ということです。
オキシトシンは、つながりの幸福感です。何度感じてもその幸福感は同じです。
今日赤ちゃんを抱っこした時の幸せ感は、明日も一か月後も、変わらりませんよね。
なので、ドーパミン的な昂った幸せを感じたら、オキシトシン的な幸せもセットにする。
あるいは、むしろドーパミンよりもオキシトシンを意識した幸福感へ意識的にシフトさせるのです。
すると、その幸せ感は逓減しないので、「もっと、もっと」にブレーキがかかります。
そして、そのもっとも手っ取り早い方法が「感謝」です。オキシトシンは感謝すると出るようです。
よくスポーツ選手とかが勝利後のインタビューで「支えてきてくれた皆さんのおかげです」と感謝しているじゃないですか。
あれです。
スポーツ選手たちは実にナチュラルに、ドーパミン的な幸せをオキシトシン的な幸せに転化していました。
だから、例えば、何か表彰されたら
「いやいや、上司やいつも明るい雰囲気を作って背中を押してくれる仲間のおかげです」
と言う。あるいは、思うようにするのです。意識的に。
成果が出て、ホメられたら「いやいやホンマに支えてくれた皆に感謝です。」
売り上げが挙がったら、「お客さん、下請け業者、上司、皆に感謝です」
こんな感じ。
鼻高になってしまいそうな成果が出たら、意識して感謝する。
ドーパミン的な興奮気味の幸せを、オキシトシン的な静かな幸福感に変換することで、承認欲求の暴走を食い止めることができる。
のではないか?!と現時点で私は結論付けました。
まとめ|承認欲求はコントロールできるはず
私は、これまで承認欲求に任せて生きてきました。
とくにラボ時代~社会人では、承認欲求の光と闇の面を実感しました。
承認欲求は悪者と捉えられがちですが、それは違います。
自己実現やそのための努力のモチベーションとなる面もあります。
承認欲求は基本イイ奴。ただ暴走すると厄介なんです。
だから、とくに承認欲求に振り回されやすい僕らは、意識的にコントロールする術を身に着けることが大切。
ひとまずこの記事には、現時点での僕の対応策をまとめました。
がある意味これは、まだ自分の中では仮説です。これからの人生の中で、実験し、検証し、その結果を吟味したいと思います。
ではでは。
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