「人生は自分でつくれる」は本当か?ネガティブ感情と”期待”の正体

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メンタリティ

こんにちは。

生きていると、日々いろんな選択をしますよね。

「この選択でいいのだろうか」

「Aがいいかな、Bがいいかな」

時に、自分の人生を左右しかねない重要な決断を前に、大きな不安感を感じるときもあるでしょう。

「この道で本当に大丈夫なんだろうか」

「この道で後悔しないだろうか」

と。

それとはべつに、日々生きていると苦しいことやイラつくこと、怖くなること、など、

ネガティブな感情に囚われることもたくさんあると思います。

「会社で働くのがしんどい」

「なんであの人はあんなことを言うんだろうか」

「今度の仕事、うまくいくかな…」

のように。

僕自身、とても小心者なので、とくに学生時代の進路選択や就職活動などではとても迷いましたし、

仕事をはじめてからは、仕事がうまくいくかな~とか、上司に怒られないかな~など、

悩み不安になることも多々あり、うつ状態にもなりました。

今回の記事の内容は、苦しさとか焦りとか不安感やイラつきみたいな、

こうしたネガティブな感情がなんでおこるんだろう

という僕自身のギモンからはじまったことです。

もし、ネガティブ感情の起源を理解し、対処法を見出すことができたら、人生がもう少しだけ軽やかになりそうですよね。

今回の記事では、ある意味では、これに対する(部分的な)回答です。

「自分のネガティブ感情がどこから生まれて、どうしたらなくなるのか」

について、僕なりに考え、たどり着いた結論があります。

それを共有したいと思います。

「人生は自分でつくるものだ」

「人生は自分でつくるものだ」

「行動によってのみ現実は変わる」

よくこんなキャッチフレーズを目にしますよね。

人生に何かくすぶり感を抱いているときや、辛い局面にあるときにこの言葉を見ると、

「よし、新しい道に進もう」

とか

「人任せにしていても変わらない。とにかく、やってみよう」

と、勇気ややる気をかき立ててくれる熱い言葉です。

自分の腹を決めて、これだ!と決断することによって、人生を好転できるかもしれない、

自分次第で人生は変えられるはずだ、

って思わせれくれますよね。

・・・

・・・

でも僕は、この、「人生は自分で変えられる」という感覚の前提に引っ掛かりを感じています。

この言葉のウラには、「人生は自分でコントロールできる」という前提があるでしょう。

僕は、この前提の認識自体が、実は、時に自分を苦しめる根源なんじゃないかと、思うようになってきたのです。

タロウ君の入社はタロウ君の意志?

たとえば…

____

就職活動でA社とB社に内定をもらい、どちらに入社しようかすごく悩んでいるタロウ君がいました。

タロウ君は、両社の事業内容、有名さ、規模、安定性、給料、成長性などあらゆる条件面を比較し、

悩みに悩んだ末にA社に入社することを決めました。

____

このとき、「タロウ君はA社に入った」という現象は、いったい誰の意志で起きたものでしょうか?

ま、考えるまでもなく、タロウ君の意志やろ、となりますよね。

昔の僕も、きっとそう思っていました。

ただ…今の僕は、タロウ君の意志ではない、と思うのです。

自分の”意志”はどこから生まれた?

あらゆる条件をくらべた最後、「えいやー」っとタロウ君はA社を決めました。

これは一見、タロウ君が自分の意志で会社を選び取ったように見えます。

でも僕は、会社を選ぶような局面になっている状況そのものや、そのタロウ君の”意志”自体が、

タロウ君以外の、外側の環境によりつくられたものだと思うから、これはタロウ君の意志じゃないと思うんです。

**

タロウ君が両社を比較できる状況になったのは、両社が内定を出してくれたからです。

それはタロウ君が、就職説明会で両社のプレゼンに惹かれ、エントリーシートを提出したからですが、

そもそもその説明会に行ったのは友達のジロウ君が誘ってくれたからだし、

そもそも生協が主催していないとイベント自体行われていませんでした。

**

それから…

タロウ君はA社B社を比べるとき、とくに両社の

『安定性、給料、成長性』

に注目していました。

この3条件に注目したのは、これらがタロウ君にとっては重要だったからです。

なんで重要だと感じたのかといえば…

これまで生きてきた中で、親やテレビやSNSで、そういう情報に触れてきたからです。

そういう情報が周りにあふれていたのは、タロウ君が日本という国の、その父と母のもとに生まれたから、というのが大きいはず。

もしタロウ君がアフリカの小さな村で生まれ育っていたら、

もしタロウ君の両親が田舎で自営業を楽しそうにやっていたら、

同じA社B社の比較でも、もしかしたら「立地、企業理念」を重要視していたかもしれません。

**

僕が何を言いたいかわかってきたと思います。

つまり、タロウ君は自分の意志でA社を選んだのではなくて、A社を選ぶことになる状況になっていただけ、なんです。

そして、その意志すらも、タロウ君じゃない、タロウ君の周りのなにか(人やモノや情報等の外部環境)から植え付けられた価値観によってつくられたものなのです。

そして、タロウ君に情報を与えたその”なにか”さえも、また他の”なにか”によって影響を受けたもので、そしてその”なにか”もまた…

これをたどっていくと、もはや、「宇宙が誕生したから」というところにいきつきます。

だから、タロウ君がA社に入社したのは、意志ではなく、つきつめると、宇宙が誕生したから、です。

人生はコントロールできない

この文脈でいくと、自分の日常でおこるできごとや、それに対する自分の感情、言動は全て、何一つとして、自分の意志ではありません。

宇宙誕生の瞬間から、脈々とひきつがれてきた世界の流れのなかで、

そのできごとは引き起こされたのであり、自分がそう感じさせられたのであり、そう行動させられたのです。

自分の目の前に起きるできごと、そして、それによる自分の言動感情は、

自分が生まれてから育ってきた環境、いやもはや生まれる前からの影響を受けている。

そこに何一つとして自分の意志が介入する余地がない、というか意志自体が外によってつくられたもの。

つまり…

「自分の人生は原理的にコントロールできるのものではない」

と結論付けられます。

ネガティブ感情はなぜおこる?

さて、本題に触れていきます。

僕が悩んだり、イラっとするパターンはこんな感じです。

「この選択をして、うまくいかなかったらどうしよう〔怖い〕」

「このままだったら、周りにおいてかれる〔焦り〕」

「これをしたら、あの人になんて思われるんだろう〔不安〕」

「なんで、あの人はこうしてくれないんだろう〔イラっ〕」

このネガティブ感情の構造を考えると、ある共通点が見えてきます。

どれも

【何かを期待し、それが期待通りにならない(かもしれない)】

という構造になっていませんか?

「この選択をして、(うまくいくと期待しているけど)うまくいかなかったらどうしよう」

「(周りと同レベルな自分でありたいと期待するけど)このままだったら、周りにおいてかれる(かもしれない)」

「これをしたら(あの人に良く思われることを期待しているけど)、あの人になんて思われるんだろう」

「(こうしてもらいたいと期待しているのに)なんで、あの人はこうしてくれないんだろう」

ね?

全部、期待していることが期待通りにならないこと、

もしくは期待通りにならないかもしれないことによって、

ネガティブ感情がうまれてますよね?

期待の構造

少しずつ見えてきました。

ネガティブ感情のカギは「期待」にありそうです。

もう一段ほりさげましょう。

「期待」ってなんですか?どういうときに生まれる感情でしょうか?

僕が、自分や誰かに期待する時って

”そうなってほしい”という「願い」が往々にして込められています。

多くの場合、それは自分にとって”ポジティブな状況になることへの願い”です。

「こうすることで、ポジティブな状況になることを願っている」=「期待」

です。

つまりネガティブ感情は

「こうすることで、ポジティブな状況になることを願っているのに、そうならない」

ことによって生まれる感情であり、

願っている理想的な状況と、その通りにならない現実とのギャップが大きいほど、

強いネガティブ感情になって現れているとおもいます。

期待の裏には…

ネガティブ感情は

なにか自分の言動によって状況がポジティブなることを願うけどそうならないときの、その落差に感じる気持ち

ということが分かりました。

で、ここで、ひとつ興味深いことがあります。

”期待”の裏には、”人生をコントロールできる”という前提がありませんか?

「何かこうしたら、イイことがおこるだろう(おこるかもしれない、なってほしい)」と期待するんですよね?

ほら。自分がこうしたら、目の前の現実がよくなりそう!って思ってますよね。

自分の行動によって、よりよい人生へと変えられるかも!って思ってますよね?ね?

人生は原理的にコントロール不可能なのに!!

ネガティブな気持ちの正体

さて、話がつながってきました。そろそろ結末へと結んでいきましょう。

僕たちは日々の中でいろんな不安、焦り、怖さ、心配を感じます。

「この選択で後悔しないかなぁ」

「Aがいいかなぁ、Bがいいかなぁ」

「会社で働くのがしんどいなぁ」

「なんであの人はあんなことを言うんだろうかなぁ」

「今度の仕事、うまくいくかなぁ」

でも、そのほとんどは、冷静に考えてみるとこんな構造になっていると思うんです。

原理的にコントロールできない人生なのに、

自分の選択や言動で現実を変えられると信じ、

よりよい状況になることを期待するけど、

そうならない(ならないかもしれない)、

だから不安、辛い、苦しい、怖い、焦る、イラつく、心配になる。

原理的にできないことを(無意識に)できると期待し、そしてその通りにならないからネガティブを感じる。

光の速さより速く走りたいのに、そうできなくて泣き叫んでいるようなものです。

なんか滑稽に思えてきませんか?

「うわぁぁ、光より速くはしれないよ~~」と泣く子供を見たら、

かわいいな、ふふっ、

ってなりますよね。

小心者で不安を感じがちな僕は、まさに、そんなことをしていたんです。

おれ、何してんねんやろ、と笑えてきます(笑)

ネガティブ感情というのは、まさにのれんに腕押し状態。

つまるところ、ネガティブな気持ちの真の正体は、

人生をコントロールできるという『自分の幻想的な思い込み』だった。

というのが、今のところの僕の結論です。

この気づきが日常にどう生かされるのか

で、こんな「悟りました」的な立場で話していますけれども、

そうだと一応自分の中で論理的に理解できた僕は、いまも、きっちりネガティブ感情を多々抱いています。

妻にイラっとしてしまうし、未来を考えると不安になるし、怒っている人を見たら怖いと感じてしまいます(笑)

ただ、その時にその感情をうまく”いなせる”ようになってきました。

不安や恐怖によって、胸がキューっとなったとき、僕は最近

「あ、おれ不安感じてる。あ~、また不毛な感情にとらわれてるぞ~、おれぇ」

と、心で呟けるようになりました。

一応、これまでも「期待が悩みの根源」ってのはどこかで聞いて知ったはいたんですが、

理系のガチガチロジカル脳の硬頭な僕は、あんまり腹落ちできてなかったんですよね。

でも、最近は上のように、自分なりに論理的に理解できたものだから、以前よりもつよめに

「あ~不毛やで~、おれぇ」

と小心者な僕自身に声掛けできています。

これまでよりも、ネガティブの泥沼にはまる深さと時間的長さが、浅く、短くなったかんじです。

少しだけ、日々の生活が軽くなったように思います。

おそらく、この結論を究極化すると…

この結論を究極的にできるようになった状態があるとすれば、それが、「悟り」なんだと思います。

日常のどんな出来事も、「あぁ、ただ行き過ぎるだけだ」

と、まるで自分が主人公の映画を見ている感じになるんでしょうか。

湧き上がる感情を、俯瞰し、いつでも柔軟にコントロールできるんですかね。

常に安定した精神状態でいられるんでしょうかね。

いや、不安定に移ろう精神状態を「生きているからこそだ、ありがたいなぁ」と眺めている感じなんでしょうかね。

多分、映画を見る視点と、映画の中の主人公の視点を、意図して瞬時に切り替えることができるんでしょう。

サーフィンを楽しむ海人のように生きる

この結論への気づきによって僕は完全なる悟りの境地に至れました、

とは到底言えたわけではないのですが、

でもこの気づきは、感情とうまく付き合うひとつのスキルになっていると感じています。

元はと言えば、うつ病になったりして、ネガティブ感情にさいなまれるのはもういやだ、と思ってこういうことを考えはじめたのですが、

今となっては、今後絶対にネガティブ感情を感じたくない、とは思わなくなってきました。

だって、自分の人生を振りかえれば、ネガティブ感情は、自分を動かすエネルギーになった場面も多くあったから。

だから、そもそもネガティブ感情を感じることのないように、嫌な気持ちを遠くに突きはなすのではなく

心に湧いてくるネガティブな気持ちとどううまく付き合っていくか、というスタンスで考えるようになりました。

空から降り注ぐ雨粒を必死によけるよりも、雨に濡れてしまうことは一旦受け入れちゃおう、と。

(分かりやすいたとえが思い浮かばん、笑)

僕がこれからどうネガティブ感情と付き合いたいと思っているかというと、

ネガティブ感情は言ってしまえば「不毛な現象」だとわかったうえで、

その感情の波を観察し、その波にうまくのって楽しむサーファーのような付き合い方がいいのかな~

と、思っています。

むりやり雨で例えると、雨降り濡れてしまう状況をいかに面白がれるか、というスタンスですね。

梅雨時の最近、2歳になる息子と保育園から歩いて帰っていると、

息子は雨のなかを水たまりへダイブしたり、かたつむりをつっついたり、めっちゃ面白がってたんです。

そうか、雨も雨でいろんな面白いことがあるよな~って、思えたんですよね。

いま思いついたけど、こういう心持ちを「サーフィンメンタル」

または「雨の子メンタル」と呼ぶことにしよう。

僕はこれから、サーフィンメンタルの雨の子メンタルで生きていきたいです!

以上!笑

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