こんにちは。
僕は大手メーカーの研究職として働いていましたが、適応障害になり、1年半という長い休職期間を経験しました。
今は復職していますが、あの日、病院で「適応障害です」と言われた瞬間のことは、今でも鮮明に覚えています。
たぶん、この記事にたどり着いたあなたは、今まさに診察を終えて、
「やっと休める」という安堵感と、「本当に休んでいいのか」という強烈な罪悪感。
その両方の感情に挟まれて、胸が締め付けられるような思いをしているのではないでしょうか。
この記事ではそんなあなたに、僕の体験を少しだけ共有させてください。
「もう無理だ」は、不意にやってきた
僕の場合、限界が来たのは入社2年目、とある長期休み明けの、出勤一発目の日の朝でした。
数日前から少しずつ気持ちが重くなり、当日の朝はズーン。
重い体を引きずって朝の支度をしてました。
「あぁ、今日からまたあのフロアに戻るのか」
「あの舌打ちが聞こえる場所に行くのか」
そんなことを考えながらも淡々と準備をして、最後の一口、コーヒーを飲み干して、イスから立ち上がろうとしたその瞬間。
急に、本当に自分でもわけがわからないくらい、大粒の涙がボロボロこぼれてきたんです。
「え、なんで?」って思う暇もなく。
心の奥から「もう無理!行きたくない!」っていう悲鳴が、そのまま嗚咽になって漏れてくる感じ。
妻が「大丈夫!?」って駆け寄ってきたんですけど、もう恥ずかしいとか言ってられなくて、妻の肩に寄りかかって、子供みたいに泣きました。
「もうムリ……。ごめん、もう行けない……」
そう口に出した瞬間、心のどこかで安堵感があったのを覚えています。
診察室で求めていたのは「免罪符」だった
でも、僕は「いや、これくらいで休んではいけないんじゃないかな…」とか
「長期休みあけ一発目に休むなんて、さすがに…」とか、
そんな考えが頭にうかんできて、その日はなんとか仕事に行きました。
でも結局、自分の異常に目を背けることはできず、その日の昼休み中に心療内科に電話予約し、仕事終わりに病院へ行きました。
待合室では、「休むことになるのかな…」とか「逆に病気じゃなかったら…仕事に戻らなきゃいけないのかな」とか、そんなことを考えていました。
どちらかといえば、休めることを祈っている、そんな感じでした。
診察室に入って、先生に今の状況をたどたどしく話しました。
あまりうまく話せませんでした。
でも先生は、ただ静かに聞いてくれました。
そして、「適応障害だと思いますよ」と。
「どうしましょう、休みますか?休むのであれば、診断書を書きますよ」と。
僕は「え、そんな簡単に診断書って書けるんだ」って思いました。
そして「あぁ、休めるんだ」と、安堵を感じていました。
でも、次に出た言葉はこれでした。
「……あの、休んでも……いいんでしょうか?」
当時の僕は、この日の朝までは、そこまで自分の異常を感じていませんでした。
仕事にストレスがあるのは、もうそういうものだと思っていたし。
たしかに、苦手な業務が多かったし、成果が求められることに、僕はすごいストレスを感じていましたけど。
それでも、別に仕事以外は元気だったし、土日なんかも家族とそれなりに楽しく過ごせていました。
それだけに、「え…元気なのに、休んでいいの?」とか
「こんなんで休んでも、職場の人たちに楽したいだけやんと思われるだけで、納得してもらえないんじゃ…」
みたいな気持ちがわいてきたんです。
職場の上司や同僚たちが、眉をひそめている顔が脳内に次々にうかんで、自分自身に休む許可を出せなくなっていたんです。
誰かから「休みなさい」という公的な許可、つまり免罪符をもらわないと、休むことすらズルいことに思えていた。
で、そんな葛藤で思わず「休んでいいんでしょうか?」と聞いた僕の言葉に対し、先生は穏やかに言いました。
「休んでいいんですよ」
その言葉を聞いた瞬間、僕は泣けてきました。
情けなくて、でも、やっと誰かに「もう頑張らなくていい」と言ってもらえた。
「あぁ、休んでいいんだ」と、許しを得られたような感じでした。
それが、何よりも救いでした。
罪悪感に襲われているあなたへ
病院では先生の優しさに安心して診断書を書いてもらったものの、家に帰って、また別の不安が襲ってきました。
「…職場に何て電話しよう」
「いきなり休んで、みんなに迷惑をかけるかもなぁ」
「別に元気だったじゃん?なのに休むの!?とか思われるかもなぁ」
「でも…正直休みたい…。でもなぁ…」
おそらく、この記事を読んでいるあなたもそんな葛藤を感じているかもしれませんね。
その「申し訳なさ」や「罪悪感」は、あなたがこれまで、それだけ真面目に、誠実に頑張ってきた証拠だと思います。
当時の僕も、なにか、休むためには周りに納得してもらうほどの理由が必要で、
一見元気そうに見える自分だと、みんな許してくれないんじゃないかと、そんな気持ちでいました。
今振り返れば、その時の僕の中には
「真面目で、優秀で、人に迷惑をかけない”大人”な人間であること」
そんな、守るべきルールがあって、それを破ってはだめだという思いがこびりついていたんだと思えます。
それが、本音の「休みたい」という気持ちをおさえこもうとしていました。
自分の中の「ルール」が自分自身を苦しめていることには、当時はまだ気づいていませんでした。
後になって、「真面目であること」は色んな価値観の一つに過ぎず、別に真面目でなくてもいいんだということに気づきました。
その時は、悩んだものの、上司に電話して、しんどかった昨日の状況(朝起きて涙が溢れたこと、夕方病院へ行き診断書をもらったこと)を伝えました。
僕は、結局、そこから1年半休みました。
当初は、職場がどうなるか、誰がどう思うか、とても気になっていました。
でも、結局、僕のことを悪くいう言葉が実際に耳に入ることはありませんでした。
むしろ、聞こえてきたのは自分のことを心配してくれる声ばかりでした。
診断書が出たことを伝えた電話先で、上司は、意外にも「そうでしたか…気づいてあげられず申し訳なかった」と謝ってくださいました。
結局、休むことに罪悪感を感じさせていたのは、自分自身の厳しすぎる妄想だったのかもなぁ、と感じています。
だから、あえて僕がこの記事で強調したいのは、
「休んでいいんですよ」
ということです。
かつて、先生も僕と同じ言葉を言いました。
1年半休んで、元の職場に復職しまして、同じ状況(適応障害的なメンタル疾患)で休んだことのある人何人かと話をしましたが、
今のところみんな「休んでよかった」と言っていました。
仕事のこととか、まじで、どうにかなります。
今日までボロボロになるまで戦ってきた自分の心と体を、一番に守ってあげることを自分に許してあげてください。
今日はスマホを閉じて、深く息を吐いて。
まずは、自分をゆっくり休ませてあげてください。


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