デキる人を演じる人生に絶望したならそれはステージアップのサイン

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生き方

「もう、これ以上は頑張れない……」

「いつまで、この自分を演じ続けなきゃいけないんだろう」

そんな思いを抱えて、毎日をギリギリのところで踏ん張っていませんか。

かつての僕は、まさにその状態でした。

大手メーカーの研究開発職として、「優秀でいなきゃ」と強く思い込んでいたんです。

結局、無理がたたって適応障害になり、休職することになったのですが、そのとき本気で

「もう『デキる人』を演じつづける人生に先はないな」

と評価や期待のために頑張り続ける生き方に絶望しました。

そこから、少しずつ自分の生き方を見つめなおし、今では、無理に自分を大きく見せることは減り、心地よくふるまえる時間が増えてきました。

で、ある時思ったのが、あの時の絶望感は、「仮面をつけて頑張る」という人生の大半を過ごしたステージに「飽きた」サインだったのではないか、ということでした。

この記事では、そんなお話をしたいと思います。


僕が「取り繕う生き方」をどうしてもやめられなかった理由

今振り返ってみると、僕がなぜあんなに必死に「デキる自分」を演じていたのか、その理由がよくわかります。

それは、自分の本音よりも「周りからの評価」を優先しなければ、居場所がなくなると思い込んでいたからです。

「成果を出せない自分には価値がない」

「期待を裏切ったら、すべてを失ってしまう」

そんな強迫観念のような思いが、僕の心からずっと離れませんでした。

でも、僕が本当に恐れていたのは、他人の目ではなく、「無能な自分を認めること」だったのかもしれません。

自分が今、苦しくてたまらないのは、ただ単にそう認められない自分が弱いから、ではなくて

これまで、誰にも頼らず、たった一人で「理想の自分」という重すぎる荷物を背負い続けてきたからだと思います。

その真面目さと責任感があったからこそ、ここまでやってこれた。

皮肉なことに、その頑張りが自分を追い詰めてしまっていたのだと思います。


絶望は、今のステージに飽きた証拠

このまま頑張り続けても、同じことをくりかえしそうだぞ…

え、もう、この生き方、限界じゃないか……?

適応障害になった僕は本気で「仮面をつけて取り繕って頑張り続ける人生」に絶望しました。

そして、休職してから、どうしたらこの人生から脱出できるんだろうか、と考えるようになりました。

そんな当時のことを思い返していた最近、ふと、こんな考えが浮かんだんです。

「あの時の絶望は、僕がこの生き方に『飽きた』っていうサインだったんじゃないか?」

それまでの僕は、「周りの期待に応えて、成果を出す」というやり方を、必死に続けてきました。

評価や賞賛を得るために、自分を殺して頑張る生き方です。

この生き方は生き方で、得たいものも実際に得るものもたくさんありました。

勉強で好成績をあげて皆に褒めてもらったし、難関大学に受かれたし、研究でも成果をあげて「すごいすごい」と言ってもらえました。

でも、会社で病んだ時はもう、いくら評価されても、心が1ミリも動かなくなっている自分に気づきました。

というかむしろ、「デキる奴」という称号を欲しがることで、逆に自分を苦しめていることになっていた。

もう「デキる奴、すごい奴、ちゃんとした奴」は欲しくない!って思っていたんです。

これって、生き方というステージで得られるものに飽きたんじゃないかな、と思うのです。

もうこのステージはお腹一杯やりつくした。

だから、この絶望は、今の自分にとって無理な生き方が限界に達したサインで、

次の生き方へ進むタイミングが来たことを知らせてくれるものだったんじゃないかと思うんです。


怖さを和らげるために、僕がやったこと

とはいえ、長年続けてきた「デキる自分」を辞めるのは、死ぬほど怖かったです。

僕も、「もし『頑張ること』を捨てたら、ダメダメな奴になるんじゃないか、会社でいづらくなるんじゃないか」と、本気で震えていました。

その怖さを乗り越えるために、僕は一つ、とても現実的なことをしてみました。

自分が生きていくために、最低限いくらお金が必要なのか(ミニマムライフコスト)を、計算してみました。

「あぁ、最悪これだけあれば、死ぬことはないんだな」

具体的な数字が目に見えた瞬間、僕を縛っていた「世間体」という見えないプレッシャーが、少しだけ軽くなった気がしました。

僕たちが必死に握りしめている「キャリア」や「評価」は、実は自分を守るためのものではなく、自分を縛り付けるためのものになっている場合が多い。

それに気づけたのは、一度どん底まで落ちたからこその収穫でした。


仮面を脱いだ僕を待っていた、穏やかな毎日

勇気を出して、無理をするのを少しずつやめていった結果、心と言動が一致する心地よさが増えていきました。

他人と自分を比べて落ち込むことも、誰かの顔色をうかがってビクビクすることも、前ほどはありません。

「デキない自分も、情けない自分も、それでいいんだ」

そう思えるようになったとき、ようやく心がラクになりました。

すべてを失うどころか、僕は自分を否定せずにいられる「安心感」を、ようやく見つけることができた感覚です。


あなたが今日からできる、最初の一歩

いきなりすべてを投げ出す必要はありません。

僕が最初にやったのは、ただ自分の本音を「聴いてあげる」ことだけでした。

「本当は、もう会議に出たくない」

「本当は、もっとゆっくり寝ていたい」

そんな小さな本音を、無視せずひろいあげるんです。

で、できる限り、そのわがままを叶えてあげる。

人の目や評価が気になるかもしれません。でも勇気をもって、自分ファーストを実践してあげるんです。

すると、大抵の場合、心配していたことは起きず「なんだ大丈夫だった」と思えます。

その「自分ファーストでも大丈夫だった」という経験の積み重ねにより、やがて取り繕う生き方から脱出できるのだと思います。

それでは、今日は以上です。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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