「歴史思考」を読んで感じた”何かをしなきゃ”と焦ることの不毛さ

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こんにちは。

今回、深井龍之介さんの書かれた『歴史思考』という本を読みましたので、その感想を書きます。

僕はこれまで、人生の岐路で「どっちの道を選んだほうがいいんだろう」と迷ったり、

「このままでいいのか」「もっと努力したほうがいいんじゃないか」と焦ったり、

仕事やキャリアの場面でそんな不安を何度も抱えてきました。

この本から僕が受け取った気づきは、そんな悩みを軽くする一つの新しい解釈でした。

それは、ざっくりといえば

「なにをするか」にこだわらなくてOK。ただ存在しているだけでOK。

そんな、解釈でした。

ヘレン・ケラーの偉業は「たまたま」の積み重ね

本の中で印象的だったのが、ヘレン・ケラーのエピソードです。

ヘレン・ケラーは社会福祉活動家で、幼少期に視覚と聴覚を失い、生涯しゃべることもほとんどできなかった中で、

現在のハーバード大学を出て、世界中で講演を重ね、障がい者の福祉向上に貢献した人です。

で、そんな彼女の功績の裏には、半世紀以上も寄り添い続けたサリヴァンという女性の存在があったようです。

彼女は、目と耳の両方が不自由なヘレンを幼少期から教育し、学生時代やその後の活動を精力的に支えたんだとか。

さらに遡れば、そのサリヴァンは、まともに教育を受けられるかを心配したヘレンの母が

ヘレンと似た境遇のブリッジマンという名の女性が過去、教育を受けられたという事例を本で知ったことがきっかけとなり、出会うことになりました。

そのブリッジマンもまた、障害者教育という概念がなかった時代に生まれ、家族にさえ疎まれながらも、

ある男性から手話を学んだことで外の世界と繋がれるようになったのだそうです。

そしてまた、その男性が知っていた手話というのは、彼が過去ネイティブアメリカンから学んだ独自のものだったそうです。

こうした無数の出来事が折り重なって、ようやくヘレン・ケラーの偉業につながった。

おそらく、関わった一人ひとりは「自分の行為が将来の偉業に結びつく」なんて全く意識していなかったでしょう。

もしネイティブアメリカンが手話を伝えていなければ。

もしヘレンの母がその本を読まなければ。

もしかすると、ヘレン・ケラーという存在は生まれなかったのかもしれません。

そう考えると、彼女の功績は「たまたま」の積み重ねによって生まれた、ともいえますよね。

選択で悩むのは、実は的外れ?

この話から僕自身がまず強く感じたのは、

「人生は自分一人の選択で決まるものじゃない」ということ。

僕はこれまで、選択を誤れば人生が悪い方向へ行ってしまうんじゃないか、と不安にとらわれてきました。

でも、このヘレン・ケラーの話がから分かるように、人生の流れは、自分一人でコントロールできるものではない。

意図的にやったことも、意図せずやったことも、結局は無数の人との関わりの中で因果の積み上げになっていき、予測不可能な未来へつながっていきます。

そう考えると、「何をするか」で過剰に苦悩するのは、ちょっと的外れなのかもしれません。

むしろ、泣きながら選択してもいいし、何も選ばず立ち止まってもいいし、

とにかく、どんな行いも、いずれは自分の想像を超えた因果につながっていくんだから、

だったらもう、「そのまま、生きていればいいんじゃね?」という風に、著者のメッセージを解釈しました。

本を閉じたとき、なんだか自分の悩みが急にちっぽけに思えてきて、笑ってしまいました。

どうせ未来は読めない。

少しだけ、気持ちが軽くなりました。

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