こんにちは。
僕は、とくに会社で人を頼るのが苦手です。
「それくらい自分でやれよ」って思われるんじゃないかな…。
「もう、忙しいのに…」って思われないかな…。
みんな自分でやってるしな…俺も頑張らないとダメよな…
って。
周りの目とかどう思われるかを考えてしまって、しんどい時にもなかなか人を頼れず、自分でどうにかしちゃおうとしちゃうんです。
僕は、これが主な原因でメンタルダウンしてしまいました。
そこから、色んな本を読んで、どうやったら周りを気にせず、もう少し弱さを人に見せることができるんだろうか、
ということを模索し、出会ったのが心屋仁之助さんの本でした。
本に書いていた
「これまでと”逆”をしろ」
「自分がこれまでなら周りを気にして絶対にやろうとしなかったこと、避けてきたことをやれ」
という内容。
分かりやすく、頑張るな、ラクをしろ、さぼれ、ずるをしろ、迷惑をかけろ」
と、書かれていました。
僕は、さすがにそれはまずいんじゃ…と思いました。
でも、心屋さんの本には、なぜそうしたらいいのかという説明でこんなふうに言っていました。
これまで、うまくいくと(周りから言われて)信じてきた「我慢して頑張る、嫌なことでも努力する」で生きてきた結果、今あなたは生きづらくなっている。
だったら、これからは今の自分が到底「うまくいく」とは信じられないようなことをしたほうがいいのでは?」
というかんじ。
僕はぐうの音も出なかったんですよね(笑)
だから、半信半疑ながら、仕事に復帰してから元の職場で試してみることにしたんです。
で、色々やりました。いくつかの実験の感想はブログ記事でも書きました。
Tシャツ出勤、挨拶せずに退勤、暇になっても仕事を探しにいかない、など。
いろいろやって、今、あらためて
「なんで僕たち”頑張る教”信者は、人に頼ったり、手を抜いたりすることができないのか」
という、また新しい理由に気づきました。
人に助けを求められない理由
なんで僕らは人にたすけを求められないのか。
楽すること、楽しいことばっかりをやること、自分の気持ちを主張することに、なんで罪悪感を感じてしまうのか。
なぜ、我慢して、自分でどうにかしなきゃって、思っちゃうのか。
それは、「シンプルにそういうことをした経験が少ないから」かなって。
つまり、僕らは、人を頼ったり、ラクをしたり、嫌なことを「嫌だ」って主張したり、人に迷惑をかけたり、マイペースに生きたりすると、
一体どういうことが起きるのかを”体験した数”が少ないんじゃないかな。
いやもっと言えば、そもそも、それを”試した数”が少ない。
その代わり、ラクをしたり迷惑をかけたりするのは、”ダメなことだ”っていう「イメージ」だけをたくさん植えつけられてきた。
体験が伴わない、イメージ。
一方で、迷惑をかけずに自分でどうにか頑張ること、嫌でもなまけずちゃんとすることは、”よいこと”って教わって、
実際に「頑張ること」を試してみたら、誉め言葉や、成績や評価みたいな、いろんな形で「素晴らしい、はな丸~!」ってされてきた。
つまり、この「我慢してでも頑張る」っていうことに関しては、
頑張る→”Good”をもらう→もっと頑張る→”Good”をもらう→・・・というかんじで
”試行”と、”よいフィードバックをもらう”の「体験」サイクルを、何回も何回もまわしてきましたよね。
脱サラするかしないか、と全く同じ構造
だから、「自分の本音を隠してでも頑張る」をやっておけば、ある程度、起こり得ることが予想がつく。
きっと評価されるだろうな、って。
でも、「自分の本音をだす(ラクをする、弱さをさらす)」は、人生を通して経験値が少なすぎるし、さんざん「ダメ」と言われてきたもんだから、
やってみる前から、もう恐怖でしかない。
怒られるかもしれないし、嫌われるかもしれない...って次から次へと不安が出てきてしまう。
つまり、これは、あれです。脱サラするかしまいか悩むときの構造と全く同じです。
会社でまじめに働くことで、この先どんな暮らしになるのかはある程度、予想がたつ。
概ね安定していて、社会的な信頼も得られる、みたいなメリットが推測できる。
でも、脱サラしたら、もうどうなるか分からん。だって経験がないから。
周りでは脱サラにまつわる怖い話をたくさんされるし。ただただ不安が湧き上がってきます。
「我慢して頑張るor人に迷惑をかけてでも頼る」も、これと全く同じことがおこっているんですね。
必要なのはデータの上書き
これを解決するには、自分の中の「ラクをしたらダメ」とか「怠けたらだめ」とか「人を頼ったらダメ」みたいな、
「弱さを出してはダメ」的なマイルールを、少しずつ、体験によって「弱さをだしても大丈夫」に上書きしていくことが大切だと思います。
たとえば、僕は、実験的に「周り9割がスーツの中、会社にTシャツで出勤する」を試しましたが、
当日の朝、クローゼットの前でやっぱYシャツにしよかな…ってめっちゃ怖かった。
だって会社にスーツ以外で出勤するのは、生まれて初めてだったから。
それまで、ただ勝手に、もうイメージで
「会社にはスーツ出勤すべき、みんなと違うことはしちゃだめ」
というルールを握りしめていたんですよね。
でも、結局Tシャツ出勤して「なんや、大丈夫やん」と思えたその翌日には、
もう何のためらいもなくTシャツを着て出社できている自分に気づきました。
つまりこれは、「会社にはスーツで行くべき」というマイルールが、「別にTシャツで行ってもいい」という風に上書きされたってことだと思うんです。
イメージで作られたマイルールが、たった一回の体験を伴った「大丈夫やん」経験により、一気に消失したんです。
もう少し視点を広げれば、「周りと違うことをしたらダメ」というマイルールが、Tシャツ出勤という”逆をする実験”により、
「別に、服装くらいなら周りと違うことしても大丈夫やん」って少しだけ緩和されたんです。
結論:「大丈夫」体験データを増やすことが「弱さを出せるようになる」ための解決策
まとめていくと、つまり、
Quesiton. 職場で人に助けを求められるようになるにはどうしたらいいか
この答えの一つは
Answer. エイヤーっと助けを求めてみて「なんや、頼っても大丈夫やん」っていう体験を積みかさねていく。
そして、自分の中にある「○○したらダメ」ってマイルールを、一つ一つ「○○しても大丈夫」っていうデータで上書きをしていくこと。
コレだと思います。
なぜなら、僕らは、「弱さを見せず、自分でどうにか頑張る」という体験は多い一方で、
「弱さをさらけ出して、どんどん人に頼る」という体験があまりにも少ないから。
イメージで作られた「人に頼る、ラクをする、我慢しない、頑張らない=”ダメなこと”」というマイルールを、
これまで絶対やっちゃダメだと思っていたこと、つまり”逆のこと”、をエイやっとやってみることで、
「なんだ意外と大丈夫やん」っていうデータで書き換えていく。
これが一つの方策なんじゃないかな~って、今の僕は思います。
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