不思議な体験をしました。理想の世界、人生が言葉としてあふれてきた話

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やりたいこと探し

昨日まで、実はとある人のメルマガを約1か月毎日読んでて。

昨日は、その最終メールとして、「本当の自分のやりたいこと、生きたい人生と一致した生き方・在り方・働き方を実現する講座」の説明会・個人面談があった。

かなりの高額を提示され、昨日から、今も、めっちゃ悩んでいるところ。

で、その30日間のなかでは、自分の人生を棚卸しするワークもあって。今もまだそのワークは未完で、毎日進行中。

それまでやっていた、前回までの3記事で示した自己理解もふまえつつ、そのワークでもめっちゃ時間かけて自己を掘り下げてたんよ。

>>【研究職が生き方を再考する①】自分が世に広めたい価値を考える
>>【研究職が生き方を再考する②】自然とやってしまう才能を考える
>>【研究職が生き方を再考する③】情熱を持てる好きなことを考える

自分の在りたい姿ってなんなのか、自分はどういう在り方を望んでいるのか、いまの世界のどこに不満を感じ、本当はどんな世界を望んでいるのか。本当の自分はどんなときにエネルギーが湧き出て、どんな時にツラくなるのか。

こんなことを、まぁメルマガ登録前の自己理解も含めると、ざっと半年くらい、断続的ではあるけど、考えてきてたわけ。

で、昨日の説明会をうけて、さて、どうしたものか、俺はこの講座を経てどんな姿になりたいんだろうか、と改めて超真剣に考えていた。

夜中の2時前まで。付箋やノートに言葉を書き続けていたわけ。布団に入ってからもしばらくグルグル考えていた。

で、明くる今日の朝、子供をベビーカーにのせて保育園へ歩いて送迎しているとき、あふれるように想いや言葉が出てきたんよ。

ぶわぁーって。

とても不思議な体験だった。あの出来事と感覚を忘れないように、ちょっと乱雑だけど、これは急いで書き残さなきゃと思ったから、書いていく。

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それは、ラジオでリスナーに向けて届け、そして現在の自分自身に向けて、優しくも力強く語りかけている自分の姿でさ、ヘッドホンして、こっち(俺の目)をみながらマイクに語りかけてい未来の俺の姿でさ。

その姿イメージが脳裏にふとよぎったんよ。そんな未来の自分がしゃべってたんよ。

イヤ、厳密にいうと、そんな生き方を既に叶えた未来の俺が完了形で話す言葉と、そう生きられていない現在の俺の願望形で話す言葉が、その映像とともにあふれてきた。

ぶぁーって脳内に言葉があふれてきて、そんな愛にあふれた未来の自分を見て。そしたら急に涙が出てきてさ。「そうやんな、そう生きれるよな。」って口にだしている現実の自分がいたんよ。

落ち着いた今、あの時の感情をなんとか言葉にすると…

これまでの自分が歩んできた人生の中で感じた苦悩、絶望感、違和感なんかが、この未来を創り出す自分になるための、全てはそのためのシナリオだったのかも、と思えてしまうほどに、なんか点と点が一本の線で繋がったような、スッキリした感覚になって。

で、すんごい暖かい気持ちになった。その深い愛に触れて。

まだそう生きられていない、息苦しさを感じている今の自分がめっちゃ救われる気持ちになって、で、希望もみた。

そうやんな、そう生きられるよな?ってといかけると、笑顔でゆっくり、うんうん、と深くうなずいてくれた姿も見た気がしたんよ。

未来の俺が。リスナーに語りかけてる未来の俺が。

結構、羅列的に、断片的な言葉だったから、冷静になった今の自分がちょっと整理はしたけど…こんな感じの言葉やった。.

みんなもっと好奇心のままに衝動的に生きていい。

もっと、「おもろい!」「すげぇ!」「やってみたい!」「なんだこれ!?」世界を無邪気に生きていい。

人目、損得、過去の経験で打算的に考えて、ピュアな純真を抑圧しなくていい。

もっと人生は開放的で自由に生きられるよ。

やりたいからやる、やりたくないからやらない。それでいい。それが成立する世界がいい。

個性と個性で埋まらない穴が生まれてもいいんじゃないか。だからこそ穴を埋めてくれる別の個性やモノ、誰かの努力に感謝する心が生まれる。愛を受け取り、与えられる。そうして個性と個性、想いと想いがみごとに調和する美しい世界が生まれるんじゃないか。

偽りの心で、鎧をまとった心で生まれた人と人との繋がりは、いずれ苦しくなる。自分をだませない。純真な心で触れ合うから心からのフィットを感じられる。だから人と人との間に深い心のつながりが生まれ得る。親密になれる。愛が生まれる。喜びや悲しみを分かち合える。だから心地よい。居心地がよい。自分をだまさなくていい。自然体でいい。自然体だからこそいい。穏やかで、混じりけのない「和」の世界が生まれる。

無邪気に生きていいし、衝動的に生きていい。

純真無垢に、天真爛漫に。あるがままで生きていい。

もっと自分の心に素直でいいし、直観を信じていい。

それが周りとちがっていい。それが個性。

そう生きるから、分かり合えるし分かち合える。感謝が生まれ、愛が生まれ、穏やかで居心地のよい世界になる。

もっと無邪気に生きていい。人生は自由なはず。

自分自身がそう生きる存在でありたい。妻に、子供に、友達に、社会に、無邪気のままで生きられるんだよ、って教えたい。そう生きられる希望を与えたい。

俺が、その世界を望んでいる。俺がそんな風に生きたいし、そんな世界で生きたいから。心地よくなりたいから。

自分の純真を濁す「大人らしい」ふるまいなんかいらない。「先生らしい」とか「年長者らしい」とかもいらない。純真を抑圧しないでくれ。

もっと無邪気にはしゃいだらいいやん!「これ、おもろ!」「うわ、すんげぇ」「俺もやらせて!」。衝動のままに生きていいやん。そう生きられるよ。ぜったい。

そんな、純真な個性たちが調和し、深くつながり、愛ある穏やかな「和」な世界にしたい。

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以上が不思議な体験。

ちょっと、まだ人生の棚卸しワークが残ってるから、もっとクリアに、うっすら繋がっていそうな一本の線を、もっと太いものにするべく、

確信に変えるべく、今日の内にやり切りたいと思う。

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