こんにちは。大企業研究職をうつ状態で休職し、脱サラを考え出したただなおです。
>>【研究職が生き方を再考する④完結編】本当にやりたいことを決める
「脱サラして新しいことを始めよう!」
と決めてから、不定期に、わりと頻繁に胸のざわつきを感じています。
その多くが、お金の不安。
このせいで、脱サラになかなかふみ出せない。怖い。
しかも(後述するけど)、このお金に対する心配、実はかなり過剰であることを自覚していまして。
現実的にお金に困っているわけでもなけりゃ、困る可能性が低そうなことがある程度わかってるのに、
それでもなお怖いんです。
なんなんだこれ。
自分としては、この不安感を早く消し去りたい。しんどい。
だから今回は、この過剰なまでの「お金への不安」を掘り下げて、その正体を自分なりに解明してやろうと思った次第です。
脱サラにふみだせない理由

いったんまずは、脱サラになかなかふみ出せない理由を整理しよう。
大きく2つかな。
- 大企業をやめるのもったいなくね?
- お金に苦労して生活が困窮するかもよ?
頭のなかで誰かがことあるごとにこう囁いてくるんです。
大企業やめるのがもったいない

せっかく入れたのに。
せっかく博士課程までいったのに。
せっかくそこまで努力してきたのに。
…
ま、こんな言葉がポコポコ湧いて出てきます。
手に入れたものを失う喪失感ですよね。なにかすんごい”マイナス”感を感じてしまう。
とはいえ、ちゃんと頭ではわかっているんです。
この企業に勤める前の状態に戻るだけで、裸でおぎゃーと生まれた時をゼロとすれば、マイナスになんかなるわけないって。
でも、やっぱ思っちゃうんですよね~。もったいないんじゃない?もうちょっと頑張ってみれば?
って。
お金に困るかもしれない

脱サラして新しいこと始めるって、いやリスク高いんやない~?
収入がついてくる保証なんてないよ~?
家族が困窮するかもよ~?
…
脱サラを考えると、こんな誰かのささやきがぶわぁ~て頭にうずまく。
やっぱ「お金の不安」が最も大きい気がする。
お金がない=死

お金の不安の根源を考えるとき、ぱっと「お金がないと死ぬから」とうかぶ。
一般的によく言われていることだから。
今の自分の生活は、衣食住医遊すべてお金ありきだからね。
でも、この答えは自分の疑問に対する回答としては納得しかねる。
「脱サラしたらお金に困るかも…」と不安におそわれている時、それは自分が死を恐れているからだとはあまり思えない。
お金がなくても死にはしないやろ、って心底で思っちゃってるし。
だから、なんか違う。
もっと別の恐さだ。それを明らかにしたい。
お金の不安はいつも過剰になってしまう

冒頭でもふれたが、いま現実的にはお金には困っていないし、じつは将来的に困る可能性が低いことも理解している。
どういうことかといえば…
私がうつ状態になって休職して無給になっても、妻の収入と積立投資の利益により、なんら資産は減らなかったんです。ありがたい話です。
私が脱サラしようがしまいが家計が苦しくなる可能性は低いことが分かった。
正直これには安心しました。なんだ生きていけるやん、と。
な・の・に。
それにもかかわらず、いまなおお金の不安に頻繁に囚われてしまう。
この、一見まったく意味不明に湧き出てくるお金の不安の正体はいったんなんやねん、と。
これが自分としてはすごい不思議な点であり、困った点でもあるわけです。
どうにかこの不安感の正体を明らかにしたいと思ったわけです。
「お金がなくなると何が恐い?」
自問自答でふかぼってみる

さて、いま一度自問してみた。
「お金がなくなると何が恐い?」
ぱっと出たのは、将来的に子供にかかってくるであろう費用のこと。
教育費みたいなわりと確実性の高い高額出費を支払えないかもしれない、という不安。
そもそも大学が必要か否かみたいな論点もあるが、私は子供の意見を尊重したい派なので、もし行きたいと言えば応援してあげたい。
だからその時になって「お金がない」となってしまうことは、結構怖い気がする…
・・・
・・・
いや、なんかちょっとまだしっくりこないな(笑)
だって、奨学金とかあるしさ。べつに自費で払えないとなっても、現実的には大学に行けるわけさ。
「子供を大学に行かせられないことが恐い」はまだ表面的な恐さな気がする。
なんだ?俺はいったい何を恐がっているんだ??
もうちょっとふみ込んでみる

たとえば、子供の大学授業料を払えるかぎりぎりな状況になったときのことをリアルに想像してみた。
子供が「大学に行きたい」と言って、私と妻が家族会議する。
「どうしようか、今の貯金では受験費用、入学金はギリ耐えるけど、授業料を考えると来年から結構苦しいよ」
「奨学金を申請しようか…」
「仕事も増やさないとね…」
「私がもうちょっと頑張るわ…」と妻。
子供が大学へ行くこととなり、授業料捻出のため忙しく働く日々。
なんとか捻出せねばと働き続けるも、しだいに家では私と妻のすれ違いが増えていき…
いつも私も妻もピリピリしている。
家族に流れる不穏な空気…
。。。
。。。
はいここ!
リアルにイメージしてみると、この「家族がぎくしゃくしている状況」に対してすんごい心がモヤモヤしてくるのを感じる。
このモヤモヤはどこから来るのか、さらに神経研ぎ澄まして探ってみた。
私が一番恐れていたこと

家計が苦しい状態をリアルに想像すると、妻がツラそうな姿にモヤモヤする。
眉間にしわが寄ってぴりついていて、そして私もぴりついて家族にいつも不穏な空気が流れている状況が…
これすごいツライ。
重々しい空気。夫婦間がギクシャクして、子供もその空気を察知して悲しそう。
これ、すんごいイヤ。めっちゃいや。ツライ。恐い。
あーこれかも…
私が「お金がないこと」によって具体的にどうなることを恐れていたのか分かった。
私は「絶対的に安心できる場所である家族がバラバラになること」を最も恐れていた。
バラバラになったり、ぎくしゃくしたりすること。いつもピリついていて、家族なのによそよそしくなってしまっていること。
これがホントにイヤだ。怖い。
とある過去のできごとを思い出した

この「いつも優しくて安全だった家族がバラバラになってしまいそう」な状況をイメージすると、小学校低学年の時のできごとを思い出した。
それは両親の大ゲンカだ。
いつもはホントに穏やかで平和な家族だったのに、ある朝、両親が見たことないくらい激しい剣幕で
けんかしていた。
お母さんが見たことないくらいむせび泣き、お父さんも激しく咳き込んでいた。
そして私や姉は大声で泣き叫び、お父さんに「あやまって、お母さんにあやまって!」と訴えていた(ケンカの原因はいまだに不明)
どうしようどうしよう、家族がバラバラになってしまう。いやだいやだ。こわい。
当時のことは結構鮮明に覚えている。ホントに訳が分からなかった。
ただただ「あんなにも穏やかだった家族が、お父さんお母さんが、壊れてしまう」という怖さに泣いて怯えていた。
そのときの恐怖感がぶわぁーっとよみがえってきた。
きっと私はこの幼い時の体験によって、「家族がバラバラになるかもしれない不穏な空気感」に対して過剰なまでの恐怖をラベル付けして潜在意識に記憶したんだと思う。
そして今もなお、家族の平和が脅かされる条件下になると、心の奥底にこびりついている当時の恐怖が条件反射のように発動されるんやろうな。
逆に言うと私は、自分を含む家族がみんな心穏やかに過ごすこと、心から信頼しあえていて毎日が平和であることを、なによりも強く強く願っているのだと思う。
自己理解でも同じようなキーワードが…
ここまでやってふと思った。
そういえば、最近の自己理解で自分が大切に思う価値観の2トップがまさに「和」と「親密」だった(笑)
めっちゃくちゃつながってるやん(笑)すげぇ(笑)
ここにきて、全く別の切り口から、これら価値観の原体験を掘り当てることができたのは正直おどろきだった(笑)
まとめ|お金にまつわる過剰な不安の正体
乱文だったが、ようやく納得できる答えがでた。
この記事の出発はこうだった。
「なぜ私はこんなにもお金の不安にとりつかれているんだろうか。現実的に困ってないし、将来的にその可能性も低いのに」
で、その答えはこうだ。
「家族がバラバラになることを過剰なまでに恐れていたからっぽい」
そしてそれは、十中八九、自分の幼少期の原体験から来ていると思う。
お金に対する過剰なまでの恐れは、お金が無くなることそのことが怖いのではなかった。
それによって自分にとって絶対的に安心な場所である家族の平和が崩壊するかもしれないことが、めっちゃ恐いんだわ。
。。。
ふぅ。
。。。
…で?
って感じやわ(笑)
以上!おわっとこう!
コメント