こんにちは。
大手メーカーでメンタルダウン休職した後、最近復職した30代パパです。
絶賛、自分改革中です。
これまでの、デキる奴でいい奴と思われたくて強がってしまう自分から、
本当は人に頼りたい、ラクをしたい、デキなくて弱い自分をさらけ出せる自分への改革です。
そのために、復職してから、これまでだったら絶対したらダメだと思ってたことをやってみる、
という実験をやっています。
先日、「こんな報告書で怒られないかな…」という状態で、エイヤっと上司に業務報告をする、という実験をしました。
今回は、そんなお話しです。
サクッと実験結果を言っておくと、
全く怒られませんでした。呆れられませんでした。
「なんか、おもしろいネタあった~?」とか
「なかなか、よくわからないね~」とか言っていました。
(新しい技術開発のために、先行論文をひたすら調査した結果報告に対する上司のコメントです)
この上司のリアクションを見て、僕はめちゃくちゃ、ホッとしました。
あ、なんだ、問題って自分がつくりだしてるんだ、
って痛感しました。
なんでそんな実験をするのか
そもそも、なんで僕がこのような実験をしたかといえば、
これまで僕は職場でデキる奴でいい奴と思われたくて、その結果、苦しむことが多かったからです。
業務報告書など、やり出すと、途中で妥協できなくなってしまうんです。
「どんな構成にしたら伝わるかな
そもそも、なにをメインで伝えるべきかな
あ、このロジックにするには、あの仕事もしとかなきゃ
あ、この業務の目的を明確に書くべきかな
いや、そもそもこの業務の目的ってなんだ?
んー、なんかこれは違う気がする…」
っていうかんじ。完璧主義になりがちなんですよね。
それが楽しくてやってればいいんだけど、
僕の場合、それは、つきつめると
上司に怒られたくないから、
まわりにできない奴、って烙印を押されたくないから、なんです。
だから、強がっちゃう、人に頼れない。
頼ったら「そんなこともわかんないの?」とか「それくらい自分で調べろよ」と思われるんじゃないか、って思っちゃう。
ちゃんとしないと、ダメな奴になっちゃう。それはいやだから、手を抜けない。
手を抜くのはだめだ、となっちゃうんですね。
これはもうほぼ自動的に、無意識に。
最近はこの自動思考に気づけるようになってきたけど、それでも怖さは抜けないんです。
なんで強がっちゃうのか
要は、弱くて苦手がたくさんある自分をさらけ出して
「ありのままに」
「自分らしく」
生きたいんだけど、そう生きることで得られるかもしれないメリットを想像できないからだと思うんです。
メリット以上に、そう生きることで傷付く(傷つかないかも知れないけど)かもしれないデメリットを大きく見積もってるんだと思うんです。自分の中で。
それがなぜかと言えば、恐らく、これまでの人生で、
弱くてデキない自分を隠して頑張ることによって、うまくいったことや良い思いをたくさん経験してきたからだと思う。
それゆえに、デキない自分をさらけ出す、という試みの回数自体が、そもそもめちゃくちゃ少なかった。
その代わりに、デキないことを克服しない(頑張らない)のはよくないことだ、という”先回りの情報”だけがどんどんインストールされてきた。
だから、僕はいま、半端(だと思えてしまう)報告書をそのままに上司に報告するのがとても怖いんだと思うんです。
なんだこれくらいでも大丈夫なのか、とか
怒られたけど、まぁなんとかなったな、とか
こうした実体験の数が圧倒的に少ない。
だから、先回りの情報におびえちゃう。
で、結果的に完璧主義になったり、不安になったりで、苦しくなることが増える、ということになっているんだろうな、と。
…というところまで、最近、気づけました。
弱さをさらけ出せるようになるにはどうしたらいいのか
なので、そうした、苦しさから抜け出すには、ここからの人生で、
デキない自分をさらけ出す、という試行回数をそもそも増やすことが大切だと思ったんです。
これまでだったら、絶対ダメだと思ってしまうことを、
あえて、ちゃんとせず、手を抜いて、苦手を克服しようとせず、がんばらないでどうなるのか、
その実測データを増やしてみればいいんじゃないか、ということです。
…ということで、
今回に限らず、最近はこの手の実験をたーくさんしてます笑
今回の一件では、
勝手に「怒られるかもしれない」という妄想で問題をつくってただけだったなー
という実験結果を得られました😊
コメント