インプット中毒の僕がブログにより「自分の物語」を生きはじめた話

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仕事の自給

こんにちは。

僕は先月から、自分のライフワークをブログで情報発信しながら、お金をいただく仕事の自給講座を受講しています。

ブログで毎日発信するようになって約1か月が経ちましたが、

ここ最近、自分の中で日々の体験や心の動きに対する感覚が、

少し変わってきたように感じています。

「人生への没入感」が大きくなっている

このブログでは、かつて自分自身のキャリアや、働きかた、生き方について、語ることが多くありました。

また時には、本やYouTubeで学んだことを、日常と絡めてお話することも。

ですが、仕事の自給講座を受講してからは、自分の”ライフワーク”をブログで表現しはじめるようになりました。

仕事でメンタルダウンしてからの「暮らし」に対する心の変化や、

自給農のある半農半X的なライフスタイル、

持続可能な働き方や生き方などについて。

とくにここ最近は、日常的な出来事の中での気づきや、心が動いたことを記事にしていました。

そうやっていたら、ふと

「あれ、なんか最近、自分の人生をめちゃくちゃ”生きている”感じがする」

という感覚が芽生えたのです。

とても不思議な感覚です。

”人生への没入感”とでもいうのか、とにかく、これまでにはなかったような

自分の日々の感動を、より深く、強く、味わえている感じです。

以前の僕は、“頭”で体験を処理していた

なんでだろう、と自分なりにその理屈を整理してみると、なんとなくわかってきました。

・・・

・・・

以前の僕は、自分の日々の体験を味わう以上に、なにか“頭”で処理しようと努めていたように思います。

日々の中で何かをやって、何かを感じるたびに、

「あ~、これはあの本の”〇〇理論”でいうところの、こういう現象なんだろうな」と、

本で得た情報に照らして、体験を強引に“正解”のような型にはめるように、分析していました。

例えば心理学系の本では、自分の心の動きのメカニズムや理論、それにまつわる洞察をたくさん目にしました。

で、自分が日常で大きな不安を感じた時、その本で紹介されていた”正解”らしきコトを自分自身に参照して

「あ~、これはインナーチャイルドに触れているんだろうなぁ」みたいな。

リアルを体験する自分とは少しピントがずれたもう一人の自分、いうなれば、

情報をたくさん詰め込んだ頭でっかちな自分がいて、

リアルを生きる自分を少し先の地点から俯瞰して、冷静に分析しているんです。

ドラマや映画を見て、登場人物の言動の意味を説明しようとする視点に近いです。

たとえ感動があっても、それを理論のテンプレートに落とし込むことで、

自分の人生なのに、どこか他人ごとのように“整理されてしまう。

「これはこういう文脈で語れるやつね」と、自分の中の“解説者”が勝手に片づけてしまう。

自分の人生の純度が、だれかの洞察や、どこかの”正解”風な理論によって、濁っていたように思います。

”純度100%の自分”で人生がつくられている

それが、最近はちがいます。

最近は、とにかく、毎日更新をしようと先にきめたので、気づけば

自分が感じたリアルタイムの感動や心の揺れ動きを、あれこれこねくり回して分析することはなく、

とにかく、出来事とそれに対する自分の気づきや感動をストレートに解釈し、

それを自分の言葉で、自分のリズムで表現するようになっていました。

本や誰かの理論に頼らずに、です。

すると、なにか、明らかに自分の書いた文章に“脂がのっている”感じが分かるんです。

少々気持ち悪いんですが、自分で書いた文章を、何度もよみかえして、ニンマリしちゃうんです(笑)

ずーっと、その時の感動の味を感じられる、というか。

最初のひと噛み目の味が、ずーっと続くガム、みたいな?

書き終わった記事を読み返して、「ああ…生きてるな、自分」と感じるのです。

その感覚は、大学院で研究に没頭していた頃の

「うおぉぉ、実験おもろ―!サイコーー!」

という刹那的な、最大瞬間風速的な”ワクワク感”とはちょっと違います。

あれはあれで大きな感動を感じていたものの、すぐ通り過ぎ、数時間後には、気づけばとけていました。

でも今はもっと静かで、深くて、長い。

温泉に入って、

「最高だぁ…」

じんわり満ちていくような没入感なんです。

感動が、表面を流れていかず、自分の奥にまで染み込んでくる感覚。

おそらく、自分の体験も、分析も、すべて“自分発”でできているからだと思います

体験による感動を、バシッととらえて、自分の言葉に落とし込んでいるからだと思います。

混じりけのない、純度100%の体感だからだと思います。

そうやって僕は今、ピントがぴったりと合った“中心の自分”で人生を生きている気がします。

頭じゃなく、体感の真ん中にいるような、そんな感覚。

別にそれを目指していたわけじゃないんですけど。

ただライフワークを生きる言葉を、日々、ストレートに紡いでいたら、

いつの間にか、自分の“ど真ん中”で人生を感じていたのです。

プロフィールライティングも大きいかも

あと、こういうまるで人生の「主人公感」、を感じられているのは、

最近、プロフィールライティングをしたから、というのもあるかもしれません。

というのも、自分の人生を、ライティングの型である「神話の法則(ヒーローズ・ジャーニー)」にはめて棚卸ししたのです。

「神話の法則」とは、簡単に言えば、人が映画をみて感動する王道のストーリー構成のことです。

日常を生きる平凡な主人公が、とある壁にぶち当たり、冒険に出発せざるを得ない状況になる。

いくつもの試練が立ちふさがる中、新しい仲間やメンターとであい、乗り越え、主人公は経験とともに大きく成長する。

そんな構成です。

自分のこれまでの人生をこの構成に沿って書き下ろしたのです。

講座の先生にこの記事の内容のことをいうと、こんなことを教えていただきました。

「たくさんの人生体験のなかで、とくに印象的な場面を切り取り、ストーリーにしたおかげで

『自分はそういう経験をするために生まれてきた、だから、これからの人生、これをやっていかなければならない』

という使命感が生まれやすい。

だから、プロフィールライティングをした後は、人生が濃くなっていくんじゃないかな」と。

とてもしっくりきました。そうかも。

僕はメンタルダウンしてから、自分の人生を改めて振り返り、棚卸ししました。

そのとき、たしかに、

うわ、自分のこれまでの紆余曲折って、全部、いまこうして”自立すること”に目覚めるためにあったのかも、

って思った瞬間がありました。

いやー、プロフィールライティング、すげぇな、と思いましたね。

さいごに

とまぁ、今回は、僕がとくに”ライフワークを表現する”ブログを書きはじめたことで

自分の人生に深く没入できる感覚を得ることができました、というお話をしました。

一言でいえば、「サイコー!!」ってかんじです(笑)

ライフワークの発信を通じて自分と向き合うことは、時に怖くて、不安になることもあります。

なぜなら、それがホンネ100%の自分だから。

それが批判されるということは、自分自身をぶった切られていることと同じですから。

でも、それだけに、日々は濃くなっています。

そして、今のところそんな批判は来ていません(笑)

もし今、何か新しいことを始めたいと思っているなら、

まずは小さな一歩として、感じたことや思ったことを言葉にしてみることをおすすめします。

きっと、そこから見えてくる”ホンネ”の世界は、これまでとは違った色合いを持っているはずです。

自分の人生を、自分の言葉で、深く味わう体験えるようにになるには、

自分の”ホンネ”をひろい、自分の軸をしっかりと見据えることが大切だと思います。

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