【他人軸で完璧主義】仕事で手を抜くことが怖いのはなぜか

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メンタリティ

こんにちは。

いきなりですが、僕は、仕事で手を抜くのが怖い。

自分で考えることをやめて、人に聞くこと、

本音ではやりたくないな~ってことを断ること、

報告書を60%の完成度で提出すること、

ちょっとしんどい時に「帰ります」って言うこと

仕事中にちょっとさぼること

ルール的には問題ない私服出勤をすること、、、

etc…

こわいんですよねぇ。

どうしても「誰かに怒られるんじゃないか」とか、

「あいつはできない奴だと言われるんじゃないか」とか、

シンプルに、なんとなく「ダメだ」という感じがするから、なんですよね。

その結果、他人の目や評価を伺って、他人軸で生きてしまって、苦しい…となりがちなサラリーマンです。

なんで、ラクをするのが怖いんだろうか

ラクをする、とまではいかなくとも、人に簡単なことを聞くことすら

「それぐらい自分でやれよ、と思われないかな」

と気にして怖がってしまう、その理由はなんでやろうか。

。。。

。。。

。。。

まず、根っこに「嫌われるのが怖い」という思いがあるのはたしかです。

自分のホンネに従って手を抜いたり怠けたりすると…

「馬鹿にされるかも、ダメな奴だと言われるかも、怒られるかも。」

…それは、絶対イヤだ、と思う自分がいます。

だから、周りの目を気にしすぎて、過剰に頑張ってしまう。完璧主義になる。

「だれかに助けてほしい、もう少しラクしたい」というホンネを差し置いてまで。

ひどい時は、メンタルダウンしてしまうまで。

これが一つ。

別の理由もあった

最近、職場であえてさぼってみたり、Tシャツ出勤してみたりと、

とにかくこれまでの僕なら怖くてできなかったことを勇気を出してやってみる、という実験をくり返しています。

その真意は、「頑張らないで生きる」ってめっちゃ怖いの記事で書いた通りなのですが、

とにかく、ビビりながらやってるこの実験で感じることはホントにたくさんありまして…

で、そんな実験をするなかで「ラクをしてやろう!と思ってもなお手を抜くのをおそれてしまう」別の理由に気づきました。

 それは、

  • 本音を我慢して頑張ってきた回数が、本音に従ってラクをする回数よりも圧倒的に多くて、
  • 結果的においしい思いをしてきたことが多い(いいのか悪いのか)人生だったから

じゃね?

そう、ふと思いました。

本音ではやりたくないけど自分のケツをたたいて頑張ってやってきた先では、

それなりの成果として実を結んだことが結構多い人生だったので、

「頑張る」という選択肢を選んだ先でおこることは大抵予想がつくし、しかもそれはポジティブな印象で紐づいている。

一方で、本音(ラクしたい、怠けたい、好きなことだけしたい)のままに行動した試行回数はあまりに少ないがために、

その後にどういうことが起きうるのか、実体験としてのデータベースがほとんどない。

そして、実体験データがない代わりに、大人やメディアなどによって

「怠惰な本音をさらけだして頑張らない」先には、悪い未来しか待っていませんよ、

的なネガティブデータばかりがたまってきた。

。。。ということでしょうな、と自分の中で腑に落ちました。

じゃあ、どうすれば自分軸で動けるようになるんだろうか

そう気づいたら、答えはカンタンでした。

やっぱり、本音にしたがって

「頑張らないで、テキトーにやる。嫌いなことは嫌っていう。やりたいことだけやる」

という行為を積み重ねていくこと。

要は、上でも書いた、「頑張らない実験」をビビりながら実行する。

で、その結果がどうなるのか、ホントに怒られるのか、周りから嫌われるのか、

はたまた、思っていた以上に嫌われないのか、怒られるけど意外と大丈夫だったりするのか、

みたいな実体験の経験値をためていくこと。

もう、これしかないやん、と思えてきました。

そうすれば、自分(そして相手にも)にウソをつかず、頑張らず、自分らしさ全開で、自分軸で生きる、

という生き方に対する怖さが、少しずつ緩和していくのではないでしょうかね。

僕はそれを期待して、まだまだ、「これまでだったら絶対やらなかったことをあえてやってみる」実験実験を続けたいと思います。

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