アドラー心理学の『嫌われる勇気』を久しぶりに読み返しました。
前回読んだのは、たしか仕事で少しずつ心がすり減りはじめていた頃。
当時は「課題の分離」や「共同体感覚」といった言葉に強く惹かれ、
「そうか、自分と他人の課題を切り分ければ、もっと生きやすくなるのか」と目からウロコだったのを覚えています。
それから数年。メンタルダウン、休職、そして内省や自己理解の時間を経て、ようやく職場に復帰した今、再びこの本を開いてみると、また新しい発見がありました。
今日はとくに印象に残った学びと気づきをシェアしたいと思います!
幸せに生きるための3つのキーワード
アドラーは、幸せに生きるうえでこの3つが欠かせないと説いています。
それが「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」です。
これら3つのキーワードはそれぞれどんな意味で、そしてこれらが幸せに欠かせない理由について、ぼくなりの解釈を交えながら説明します。
自己受容 ― “ありのままの自分”を受け入れること
自己受容とは、自分をありのままに受け入れること。
長所だけでなく、短所や失敗、弱さも含めて「これが自分だ」と認める姿勢です。
たとえば、もし自己受容力MAXの人がいるとしたら…
きっと仕事で評価が下がっても、叱責されても、自分のなかで自分の価値が揺らぐことなく、
「あ〜、うん。そう思う人もいるよね。でもこれが俺だからさ!」
と笑って流せるような人かもしれません。
逆に自己受容が低いと、他人の評価に心が振り回されます。
周りからの賞賛や肩書き。それに自分の価値を重ね合わせている人ほど、それが失われたときに心が大きく沈んでしまうでしょう。
自己受容の高さは、勇気をもって行動する力にもつながります。
なぜなら、失敗しても、人から笑われても、「そんな自分もOK」と思えるから。
折れない強さ。しなやかレベルが高いとでも言いましょうか。
他人の評価で自分の価値が揺らがないわけですね。
他者信頼 ― “他人を仲間だと信じる”ということ
他者信頼とは、他人を無条件に信じること。
僕の解釈でいえば、それは、「他者を仲間だと心から思えること」だと思います。
現実には他人が自分を馬鹿にしたり、裏で悪口を言っている可能性だってあるんですが、それでも、「相手は仲間であるはずだ」と信じること。
この“無条件の信頼”を持ててこそ、他者と関わる勇気がでてきます。
たとえば、職場に「あの人はできる人だ」とか「あいつはダメだ」みたいな、仕事の評価で人を分別するぎすぎすした空気が漂っているとき。
もし他者を仲間だと思えなければ、「自分って、実は裏で笑われているかも」と不安になり、
相談したいことや何か新しいことを提案したりすることをためらってしまうかもしれません。
でも、「みんな仲間であるはずだ」と信じられる人は違います。
完璧じゃなくても、えいやっとプレゼンしたり、企画を提案したりできるはずです。
だって、みんな、仲間なんだから。
つまり、他者を信頼できることが、勇気を生むわけですね。
他者貢献 ― “誰かの役に立てている”という実感
そして、3つ目の他者貢献とは、自分が属するコミュニティに役に立とうとすることです。
自分の存在が誰かのためになっていると感じるとき、人は「自分には価値がある」と実感できます。
そして、自分はここにいていいんだ、という所属感や安心感にっもつながります。
アドラーは、この“貢献感”こそが幸福感の源だといいます。
そして重要なのは、この貢献感は主観的な実感でいいということです。
自己満足的に「自分はちゃんと誰かのためになっている」と心から思えれば、それで十分幸福を感じられるはずだ、と。
ここで重要なのは、誰かの役に立とうとしつつも、見返りや承認を求めるべきではない、という点です。
見返りありきの行動の場合、相手から感謝されないと、
「こんだけこっちはやってんのに!」
とイライラにつながっちゃいます。
自分の幸せ感が相手からの承認に依存してしまい、自分の人生なのに、他人の望む人生を歩むことになってしまいます。
これじゃ本末転倒です。
つまり、“自己犠牲”的な貢献行動は、幸せにはつながらない、ということです。
大切なのは、自分の幸せのために行動して、そして「よし、みんなに貢献できているぞ」と自己完結させることです。
どうしたら承認を期待しない他者貢献できるのか
これ、頭では理解できるのですが、結構むずかしいんですよね。
仕事をやって自分の中では「役に立てているぞ」と思おうとしても、やっぱ周りの反応を求めちゃう自分がどうしても出てくる。
どうしたら、他人の感謝や見返りなしに、自己完結的に「オレは貢献できてるぞ~」と満足できる他者貢献ができるようになるのか…
僕のおススメは、「自分の行動によって周りにイイ感じのことが波及していくストーリーを勝手にでっちあげてニタニタする」です。
たとえば、会議の資料作成中に「これで大丈夫か、うまくいくだろうか…」と自分の仕事に自信が持てず、上司たちの評価が不安になってきたら、こんな風に想像するのです。
「いやまてよ。そもそもこの資料がなかったら、今俺が開発しているモノについての議論そのものができないわけだよな。
進捗が滞って、みんな慌てることになる。上司も役員の前でたじたじになりかねない。
つまり、俺は今この時点での資料を出しても、すでに大きな貢献になるわけか。
でもって、この開発中のモノがダメになったとて、その失敗が一つのデータになるわけやん。
てことは、どっちに転んでも、結局この会社に、ひいては社会に貢献できているわけやん!
やば、おれ。めっちゃ役立ってるやん(笑)」
ってなかんじです。
自己受容、他者信頼、他者貢献は連鎖する
アドラーが説く「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」は、どれか一つだけを極めるものではなく、
それぞれが影響し合って、私たちの幸福を形づくります。
詳しい話はまた別記事にします。
あらためて「嫌われる勇気」を読み返してみて、これらは“理屈”ではなく、“生き方の筋肉”のようなものだなと思いました。
日々の中で少しずつ鍛えながら、「このままでいい」「ここにいていい」と感じられる自分でいたい。
そんな気づきを、今回はこの本からもらいました。




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