「いい人」を演じるのがつらい
期待に応え続ける生き方、もうやめたい
そんな思いを抱えていませんか。
僕も、ずっとそうでした。
大手メーカーの研究開発職で、「できる人であり、いい人である」と周りから思われたい気持ちが強く、
わからないことがあっても「迷惑かな」と思い、自分で何とかしようと抱え込み続けました。
そしてその結果、適応障害、うつを発症し、休職することに。
そこから、心理学を学びつつ自分の心と向き合い試行錯誤しながら、
「いい人」や「期待に応える人」であろうとする生き方を抜け出し、他人の目を気にせず、自分軸で生きられる方法を模索しました。
今では、復職した職場で、人目を気にせず、ちょっとしんどい時に会社を休んだり、
迷惑かなと一瞬ためらいつつも人を頼れることが少しずつ増え、
以前よりも、「いい人」であることよりも、「自分がどうしたいか」を優先して生きられるようになってきました。
この記事では、心を病んでからの試行錯誤してきた僕自身の経験を交えながら、
- 期待に応え続ける生き方から抜け出すために、何が必要なのか
- どうすれば「いい人」をやめて、自分らしく生きられるのか
についてお伝えします。
なぜ「いい人」でいつづけることが苦しいのか
世間では、「いい人でいること」は美徳とされています。
僕らは「周りの期待に応えること」が、社会で生きていく上で大切だと教えられてきました。
でも、それが行き過ぎると、苦しさにつながりやすいですよね。
なぜなら、「いい人でいなければならない」という思考が強すぎて、自分の本音を抑圧してしまうからです。
たとえば、僕が仕事で病んでしまった時、本当は上司や周りに助けてもらいたかったのに、
「仕事がデキる人でいい人」であろうとしてしまい、
「これくらい自分でどうにかするべきだ」と助けを求められず、完璧主義になり、仕事をひとりで抱え込んでしまったんです。
本音では、「できない自分」をさらけ出して、人を頼りたかった。
でも、上司や周りからどう思われるか、他人の評価を気にしすぎて、その本音を封じ込めて働いていました。
それから、もう一つ別のケースですが、適応障害になって休んでいる時も、
元気なのに休んでいていいのかな、という罪悪感を感じて苦しかったこともありました。
罪悪感を手放すことができていれば、もっと早く楽になれたかもしれません。
結局それは、本音では「もう少し休みたい」と思っているのに、
「それはダメなことなんじゃないか、ずるいことなんじゃないか」と、
漠然と世間の目を気にして、その本音を抑圧しようとしていたから苦しかったんだと後になって気づきました。
「いい人」を演じる自分から抜けだせない本当の理由
でも、いい人を演じることをやめたいと思っても、人前に立つと、結局演じてしまうんです。
それはなぜか。
僕は、それには根本的な理由が2つあると思っています。
それは、
- 「”いい人”じゃない人=ダメで悪い人」という思い込みの根強さ
- 本音では、そのダメな人になりたいという欲求があることに無自覚
くわしく説明しますね。
1.「”いい人”じゃない人=ダメで悪い人」という思い込みの根強さ
1つ目の「いい人」を演じる自分から抜けだせない本当の理由は、
「いい人じゃない人=ダメで悪い人」という思い込みが、自分の中に根強く存在しているからです。
いい人をやめたいと思った時、その反対の人、つまり
「自分勝手で、わがままで、自己中心的な人」
そんなイメージが湧きがちです。
そして無意識に「さすがにそうなってはダメだ」と拒否反応が起こってしまうから、結局人前に立つとまた「いい人」を演じてしまうんです。
でも、「自分勝手で、わがまま」って冷静に考えれば、”ただ無邪気な状態”のことです。
いいとか悪いとかは、本当はない。
でもそれを僕たちが、大人や社会にそう教え込まれたせいで、勝手に
「自分勝手な行動は人に迷惑をかける悪いことだ」とレッテルを張ってしまっているんです。
このレッテルが強すぎることが、簡単に「いい人」をやめられない1つ目の理由だと思います。
2.本音では、そのダメな人になりたいという欲求があることに無自覚
2つ目の理由は、僕らが「自分勝手に、わがままに生きたい」と心底では願っている自分がいることを、しっかりと自覚できていないから、だと思います。
僕らは、なんやかんや言っても、ホントのホントは
「自分勝手に休みたいし、なまけたいし、ちゃんとしたくない。あの人みたいに。」
って心底では思っているんです。
でも、どうしてもそんな「ダメ」な自分になってないけない、
そんな人になっては人生がダメになってしまう、
とその本音を見ないようにしているんだと思うんです。
だって、そんな生き方は人さまから見て「やってはいけないものだ」と思っているからです。
これまでの人生で、そう教え込まれてきたからです。
でも、上で話したように、この本音の欲求を、「ちゃんとすべき、いい人であるべき」でおさえつけ、
自分の心底で望む姿と、実際の仮面をつけた姿の「不一致」が、
「いい人でいるのがしんどい」という苦しさを生み出しているんです。
それに気づくことが、「”いい人演じ”の生き方」から抜けだすにはとても大切です。
本当に抜けだしたいのならば、自分が「それは絶対ダメだ」と思ってしまう
「自分ファーストな振る舞い」をホントのホントは望んでいるんだ、と自覚し、
そうなりたがっている自分が、自分の中にいることを許してあげて下さい。
「あぁ、これまで『そうなっちゃいけません』って自分で自分を必死に律してきたけど、
自分勝手にわがままに生きたいと思っているのも、自分なんだな」って。
ここまでの話を整理すると、いい人をやめるために大切な大前提として、
- 「いい人にならず、自分ファーストで生きる」を「ダメなこと」とレッテル張りしている自分に気づくこと
- そして、本音のところで「自分はわがままに生きたいと望んでいる」自分がいることを認めてあげること
この2つが重要だと思います。
「自分軸で生きる人生」へシフトする方法
ここからは、具体的に「いい人を演じる生き方」を抜け出す方法をお話します。
これは実際に僕も実践してきて、効果を実感している方法です。
ぜひ参考にしてみてください。
その方法とは、ずばり「タブー犯し実験」です。
タブー犯し実験とは何か
タブー犯し実験とは、これまでの自分ならやらないような「やっちゃいけないこと=タブー」を犯した行動をあえて(ためしに)してみることです。
何のためにやるのかといえば、それは、
自分の「自分ファーストで生きたい」という本音を抑圧する「こうすべき」みたいな固定観念をゆるめるため、です。
いい人をやめて、自分ファーストに自分軸で生きることをさえぎるのは、
自分の中にある「自分ファースト=自分勝手=ダメなこと」というレッテルです。
このレッテルはいろんな「〇〇すべき/しないべき」の形で自分の本音の望みを覆い隠してきます。
たとえば、
- ホントは家でゆっくりしたいから今夜の友達との約束を断りたい。でも「友達に迷惑をかけるべきでない」から、本音を我慢して友達に会う
みたいなかんじで。
直前に約束を断るような「いい人らしからぬこと」はしちゃだめな気がする…
と、これまでの自分なら本音の「ゆっくりしたい」を無視しようとしちゃいますよね。
でも、これからは、この「友達に迷惑をかけるべきでない」という固定観念、つまり自分の中のルールを破り、
「約束を断る」というタブーをあえて犯してみる実験をしてみるんです。
すると意外とあっさり「いいよ~」なんて返事が来て、意外とどうにでもなったな、という経験がひとつ積み上がります。
そうすると自分の中の「友達に迷惑をかけない”いい人”であるべきだ」という固定観念が少しだけ緩むことになります。
これを積み重ねていくと、自分の本音を封じ込める色んな形をした「いい人であるべき」のルールがゆるまっていきます。
これが、僕がタブー犯し実験を勧める理由です。
僕の「職場でタブー犯し」実験
僕は、メンタルダウンで会社を1年以上休職したあと、元職場に復職する際、自分でテーマを掲げました。
それは
「これまでの自分なら絶対にやらなかったことを、あえてやってみる」
というものです。
つまり、職場でタブーを犯し、「いい人」の生き方を降りるんだ、という宣言です。
ホントに色々やりました。当時の体験はブログ記事でも書いています。
一見、「なにそれ?」と思うかもしれませんが、当時の僕にとっては、これらは「やっちゃいけないこと」だったんです。
そんなことしたら、周りからなんて思われるか、怖くなってしまうようなことだったんです。
小さなことですが。
実際の詳しい心境は上の記事リンクから見てみて下さい。
ビビりすぎて、Tシャツのまま行けばいいものを、結局わざわざ上からYシャツを羽織って出勤する、
みたいな感じのレベルで、超おそるおそるやっていましたから(笑)
でもそうした、小さな実験の積み重ねによって、今では
- ちょっと気分が優れない日に思い切って2日連続休みを取る
- 復職して数か月たって、ちょっとストレスで心がしんどくなりかけたので思い切って数週間休ませてもらう
- 上司に「この仕事苦手であまりやりたくない、代わりに得意を活かせるこんな仕事をしたい」と部署移動の意志を伝える
みたいな、大きな(僕にとっては、です)タブー犯しもできるまでになっています。
タブー犯し実験のコツ
コツは、最初はホントに小さなことからはじめることです。
- 迷惑かなと一瞬おもっても、誘いを断ってみる
- 迷惑かなと一瞬まよっても、わからないことを周りに聞いてみる
- ダメかなと一瞬思っても、なんでもない日に会社を休んでみる
やろうとすると人目が気になって軽~く「うっ」と戸惑ってしまうレベルの、小さなことでOKです。
やってみると「意外とどうにかなった」ってことがたくさん起きると思います。
(もちろん全てがそうなる保証はないですが笑 それでも大丈夫ですしね、生きていればなんとでもなる!)
その「大丈夫だった」という実感をしっかり噛みしめてあげるのもコツです。
その実感が「自分のわがままを出して生きてもいいんだ」という手応えと希望になるのです。
小さな積み重ねが、少しずつ「すべき」をゆるめ、自分ファーストに生きることにつながっていきます。
自分ファーストに生きることに怖さを感じてしまう理由
こうした「タブー犯し実験」を経て、僕は気づいたことがあります。
なぜ僕らはここまで人目を気にしてしまったり、自分ファーストで生きられないのか。
それは、「単に、自分ファーストを実践した回数が少なすぎるからなんじゃないかな」と思うようになりました。
例えば、僕らは小さい時から「イイ子だね」とか「ちゃんとしなさい」とか
「高得点取ると褒められる」とか「いい大学行ける」とかいうアメとムチによって
他人や社会に求められ、評価されるだろうことをやることについては、たくさん試行してきました。
そして、ちゃんと頑張った結果、褒められ、社会的に良しとされるポジションに行けるという”見返り”を得たことで
僕らの中の「他人の期待に応えること=いいこと」という固定観念が、すごく図太くなったんだと思います。
一方で、自分ファーストに行動することは、その対照として
「悪いこと、だめなこと、そうやって生きたら人生がおちぶれてしまうぞ」
と試す前から先入観をたくさん植えつけられてきたように思います。
(例えば、休みたいから休む
やりたくないから頑張らない
気分がよくないときは他人に気遣わない
人に迷惑をかけてまで自分のやりたいことを優先する
気分で休むなど、
ぜーんぶ、やっちゃいけない、と習ってきました)
そう。
そもそも、”こっち”は試行回数が少ない。
だから、自分ファーストで生きるとまずいことになるという「イメージだけ」が過剰に膨れ上がり、
なかなかいい人をやめられない構造につながっていると思います。
でも、タブー犯し実験をしてみると、
自分ファーストに、わがままに、自分勝手にずるく生きても、実はそんなまずいことにならないことを「実感」として理解できます。
いえ、もっといえば、心と言動が一致しているので、非常に心地よいし、
以前より確実にストレス少なく”自然体に”日々を過ごせている瞬間が増えていて、
「自分勝手、わがまま」のほうが人生が心地よく進んでいるかんじがしています。
なので、いい人な生き方を抜け出すには、
「自分ファーストな言動を選択しても大丈夫だった、むしろイイ感じだ」と感じる試行回数を増やしていく。
そうすれば、加速度的に「自分軸で、自分らしい本音ベースで生きていける」人生へと近づいていくのではないかと思っています。
まとめ
ということで、この記事では、「期待に応え、いい人を演じる生き方から抜けだす方法」についてお話しました。
もしあなたが、期待に応え続ける生き方に疲れているなら、まずは小さなことからはじめてみてください。
そして、小さなトライができたら、盛大に自分を誉めてあげてください。
あなたは、もう十分頑張ってきましたが、その小さな一歩はこれまでの自分とは真逆の、「道なき道」の一歩なんです。
今すぐ大きな変化を感じられなくとも、いずれ、その実験の積み重ねが
「自分らしく、ありのままで生きる」人生へとつながっていきます。
ということで、今日の記事は以上です。
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仲間とともに、他人の目や評価に縛られてモヤモヤした生き方から脱する生き方を模索しています。
「いい人をやめる」ための試行回数を増やしていく。
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