今後の自分の人生における使命・ミッションを決めました。
もうムリせず自然体で生き、自分を満たす。胸が高鳴る一歩をふみだす勇気で、誰かに希望を届ける。
これは華やかなスローガンではなく、いまの僕が自分に言い聞かせている“現在進行形の覚悟”です。
成功者の振り返りでも、道のりを語る後日談でもないです。
僕はいま、まさに葛藤の渦の中にいますが、その状態でこの言葉を掲げた理由は
「もう、自分を誤魔化せないな」と気づいてしまったからです。
この記事では、なぜいま、このミッションを掲げたのか、そしてこのミッションに込めた思いについて、書き残しておこうと思います。
憧れて入社した企業で適応障害になった

僕は、大学院で電気電子分野の研究室に配属し、博士号を取りました。
就活では、専門分野をドンピシャで活かすことができる大企業の研究職に就くことができました。
まさに「順調な人生」のレールの上を歩いていたと思います。
けれど、周囲の期待に応え続けるうちに、自分を守るための“仮面”がどんどん厚くなっていきました。
完璧に振る舞い、成果を出し、弱音を封じ込める日々。
その無理が積み重なり、ある日突然プツンと糸が切れたのです。
僕は適応障害で休職することになりました。
休職中、はじめて自分の価値観と向き合い、それらをブログを通じて発信するようにもなりました。
「本当はどう生きたいのか」を丁寧に掘り下げた時間でした。
このあたりは、僕のプロフィールにも詳しく書いていますので気になる方は読んでみてください。
そして約3か月前、1年半の休職を経て復職しました。
が…結局あの時と同じ“胸のざわつき”がまた戻ってきてしまったのです。
この違和感の再燃こそが、いま僕が立ち止まる理由になりました。
ミッションの必要性を痛感した理由

一度休職し、価値観を深掘りし、やりたいことも見つけた。
それでも復職すると、また息が詰まり始めたのです。
「あれ?また同じ道を歩こうとしてないか?」
「このまま仕事に固執して、また壊れるんじゃないか?」
会社を辞めて、転職しようか、いや、フリーランスがいいんじゃないか…
いやでもお金が不安だしな…
いやいや、でもまた体調くずしたら本末転倒だし…
こんな不安と葛藤が、おなかのズーンとした重みとなり、離れませんでした。
単に仕事がしんどいのではなく、
“これからどう生きたいか”という根本が曖昧なまま、日々をやり過ごそうとしていることが苦しさの原因になっていることに気づいたのです。
もう一度ここで、自分の人生の方向性――ミッションを明確にしなければいけない。
それが今回、あらためて自分の今後の人生を考えようと思った瞬間でした。
出会った“本音で生きる人たち”が胸を震わせた

改めて人生を振り返りながら、考えました。
「自分は、これから何を大切にして生きていきたいのか」
そして、僕の脳裏に思いうかんだのは、
僕が適応障害になってから人生を変えようともがく中で出会ってきた、
“本音で生きることを選んだ人たち”でした。
- サラリーマンという働き方に違和感を感じて、ライフスタイルを大きく変える決断をした本の著者たち。
- 自身の信念を軸にやりたいと思ったことをどんどん形にして叶えていくNPO代表の女性の方。
- 「自然と子供が好き」という自分の価値観を子ども向け農業イベントという形にして提供している農家さん。
- 情報発信を通して、迷いながらも自分の人生を通じたライフワークを模索し、仕事をつくっていく講座の仲間たち。
彼らは派手ではないけれど、確かに自分の人生を、自分で”納得”して、動かしていました。
- 違和感を無視しない
- 怖さをごまかさない
- 自分のペースで
- でも正直に進む
人生を自立して、本音で生きている方たちの姿を思い出すとき、僕の心はたしかにジワッと震えていました。
「あぁ、やっぱり自分も本当はこうやって生きたいんだ」
言葉ではなく、体が先に思い出してくれたような感覚がありました。
小さく灯った“本音で生きてもいいかもしれない”という光

まだ大きな決断をしたわけではありません。
仕事を辞めたわけでもないし、環境を一気に変えたわけでもない。
でも。
最近の自分をふりかえれば、僕の中で“わずかだけど確かな変化”が起き始めていることも再確認できました。
- 会社に復職して以降、以前より、違和感に目を背けなくなったこと。
- 人の目よりも、自分の身体と心を一番に考えられるようになってきたこと。
- 周りが気になる怖さもある中で、自分のわがままや弱さを出せるようになってきたこと。
- 職場で、これまでの自分ならやらないようなことをあえてやってみようと試してきたこと。
- ブログで自分の弱さをも含むありのままを発信しはじめたこと。
- はじめてメルマガ配信、そしてオンラインイベントを開催したこと。
- 怖さとワクワクの両方がある方向に、そっと視線が向くことが増えてきたこと。
この小さな変化を自覚できたことこそが、今回のミッションを言語化できた原点になっていると思います。
「もう、自分を取り繕ってムリして生きなくててもいいんじゃないか」
「自分の本音の価値観を、もっとわがままに満たして生きることができるんじゃないか」
「常識的でなくても、ドキドキワクワクする道を選んでも、生きていけるんじゃないか」
「そんな生き方をしても、きっと世界は味方してくれるんじゃないか」
正直、こんな生き方はとっても怖いです。足がすくみます。
でも同じくらい、心が奮えるんです。
そして、そんな世界を想像すると少しの安心をたしかに感じます。
無邪気にのびのび振る舞う自分が受け入れられ、周りに笑顔が波及していく平和な雰囲気。
こういう生き方をした先にそんな未来があるんじゃないか。
じゃなくても、どんな未来があるのか、見てみたい。
今以上に素晴らしい人生があるんじゃないか、いや、あってほしい、という願望も強くあります。
これまではその願望を叶える人を傍目に見ているだけで、自分とは縁がないと思っていました。
でも、今は、そんな人生を自分で実証したい、という気持ちが沸き立ちはじめている、そんな自分もいるんです。
そして、いつか、そんな自分の生き方を見てくれた悩める誰かにとって、僕が希望の灯りになりたい。
僕がこれまで出会って希望と勇気をもらい、世界を見る視野をグッとひろげてくれた人たちのように。
そう思ったんです。
僕がこのミッションに辿り着いた理由

あらためて、今後のミッションはコレ。
もうムリせず自然体で生き、自分を満たす。胸が高鳴る一歩をふみだす勇気で、誰かに希望を届ける。
掲げたミッションには、ひとつひとつ意味があります。
「もうムリしない」
これは、限界まで頑張って壊れてしまった過去の自分へ向けた言葉。
「自然体で生き、自分を満たす」
ずっと誰かの期待に応えようとして、自分を犠牲にしてきた反省から来ています。
「胸が高鳴る一歩をふみだす勇気」
怖さでドキドキする。でも、飾らない自分が”ワクワク”する選択へ、一歩ふみ出す決意。
「誰かに希望を届ける」
苦しかった経験を、いつか誰かの灯りに変えたいという願い。
これは“完璧な自分になる宣言”ではありません。
“弱さごと抱えたまま進んでいく”ことを自分に許す宣言です。
同じように苦しむあなたへ。一緒に歩けたらうれしいです
僕は「頑張れ」なんて言いたくありません。
むしろ、頑張りすぎてしまった人ほど、心が悲鳴を上げることを知っているからです。
違和感はあなたを守る大切なサインです。
逃げてもいいし、休んでもいい。
そしてもし、ほんの少しでも“胸が高鳴る方向”を感じる瞬間があるのなら、
その小さな光を、どうか大事にしてほしい。
僕自身、いまその光に導かれながら歩き直している途中です。
完成された姿ではなく、揺れながら進む一人の仲間として、ここにいます。
多分、これからも絶対怖さに足がすくんで、元の「仮面を被った自分」に何度も戻りかけると思います。
でもそのたびに、このミッションを思い出して、原点に立ち返って生きようと思います。
おわりに。これから、このミッションを軸に生きていきます
これからも僕は、
無理をしない。
自然体を最優先にする。
小さな震えやワクワクを手がかりに進む。
そんな日々をブログで共有していきます。
僕自身が“ミッションを生きる実験台”になるつもりです。
すんげぇ、怖いけど。
この試行錯誤の記録が、誰かの小さな希望になれば、これ以上うれしいことはありません。
ということで、今日の記事はここまでです。読んでくださりありがとうございます。
僕の無料メルマガでは、人生の違和感に目を背けず、自分の”ホンネ”の価値観にそって生きる、
そんなライフスタイルを目指して日々試行錯誤する中で身に着けたマインドセットや具体的な実践を発信しています。
興味があれば下の登録フォームからお気軽に登録ください^^




コメント