ロジカルに詰められることほど怖いものはない

※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

メンタリティ

先日、会社内で技術ディスカッション会なるものがありました。

研究領域ごとに、有志なのか指名制なのか知らんけど、数人が自分の開発する技術内容についてプレゼンし、それについてみんなでディスカッションしよう、という趣旨の会。

オンライン上でみなさん素晴らしい発表を聴講していました。

そんななから質疑応答コメントの時間になると、

(おそらく部長レベルの) パネリストの4、50代のひとが矢継ぎ早にコメントをするんですが、

その中に、いかにも賢そうで、知識の幅が広くて、頭が切れるお方なんだろうなという人が鋭そうな質問、指摘を投げかけ、発表者も少々たじたじになる、みたいなシーンが何度かあった。

発表者が「○○で、・・・」と返すと、その人も 「うん、で、○○は~~だから… じゃないのかなとおもいまして。○○は検証していませんか?」

要は、超絶理詰めなのです。

別に、ロジカルなのはいいんだけど、節々で 「図が小さくてよくわからなかったのですが…」 とか

「●●の検証があるものだと思っていたのですが、ありませんか?」

とか、どうもとげとげしい。

画面で繰り広げられる、とげとげしたセリフに、画面の前に座っている僕の心はとてもドキドキしてきた。

ああああ、しんどいいい、と。

やっぱり僕は、つよつよでロジロジ (ロジカル強め)な人(要は、Theエリート感ガンガンな人)のコミュニケーションは苦手だ、と感じました。

でも、振り返れば、かつての僕は、学会や報告会などで

いわゆる「そういう、つよつよロジロジは方たちと結構な議論をしてきた。

詰められる内容を事前に考えて、理論武装する。

何か自分の研究内容を公の場で発表するときはもうこれは、鉄則でした。

息を吐くように、頭の中で仮想のロジカルおじさんを描いて、事前対策していました。

デキる限りの完璧を目指して。

しんどかったなぁ、って。

自分の仕事ややっていることをいかに正当化するか、納得してもらうか、 もはや”赤っ恥を書かないため”という、恐怖モチベによって、必死に頭を使っていました。

ホントに、我ながらよくやっていたなぁ、

と思うと同時に、

あぁ、多分、このままこの職場(というか会社、というか競争社会) にい続けたら、

ロジ詰め対策のための理論武装からは逃れられないんだろうなぁと、かるく絶望を感じてしまうんですよねぇ。

、というお話でした。

今すぐメルマガ講座を読んでみたい方は↓のフォームからご登録ください^^

 

「半農半Xでゆるやかにホンネシフト」無料メルマガ講座




メンタリティ
たけちゃんをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました