うつ状態となって会社を休み、仕事をしていたら絶対出会っていなかったいろんな人と会い、話をすることができた。
その中で印象に残っている2人のおじいさんがいる。
一人は、自給自足的な暮らしをしつつ、自然によりそった暮らしを体感できるゲストハウスを営んでいるおじいさん。
会社を休んでから農をはじめ、自然を近くに感じながら暮らすことが気持ちいいな~なんて思い始めたころに知った方で、実際にゲストハウスに泊まらせてもらった。
もう一人は、農スクールの講師をしていたおじいさん。
おじいさんと言っては失礼かもしれないが、まぁでも見た目がしっかりおじいさんだったので、そう呼ばせてもらう。
なんで印象に残っているのかといえば、2人とも僕がかなり苦手とするタイプの人間だったからだ。
なんというかすごいマイペースでまったく周りを気にしない人だった。
とくにゲストハウスのおじいさんのインパクトが強烈だったので、この人のお話をしたい。
***
指定の時間にゲストハウスに到着した僕ら家族3人(僕と妻と子)を待っていたのは、誰もいない受付。電話してもつながらない。
30分くらい待って、そのおじいさんはようやく軽トラにのって現れた。きけば、米作り学校の講師の仕事だったとか。その学校の生徒5,6人ほども引き連れていた。
今日からお世話になるものです~とあいさつすると、軽く会釈だけしてすたすたゲストハウスへ帰っていったのだ。
「ん?いや、またされたんですけどー!?」と思ったが、同時に「この人は俺とは少し感覚が異なる人なのかも…」とも思った。
ゲストハウスではまず泊りの部屋を教えてもらい、すぐ大広間に通された。机を囲んで生徒たちがが座っており、すでに話が盛り上がっている。
そんな中、講師兼ゲストハウスオーナーのおじいさんは壁にもたれて座って、スマホをずっとスクロール。話にはほとんど参加せず。呼びかけにも、スマホを見ながらぶっきらぼうに返答するだけ。
生徒たちもそのおじいさんに気を遣っていることがわかった。
僕が「あの、今日ってどいういうスケジュールで過ごすとか決まっているんですか?」とおじいさんに聞くと
「部屋にスケジュール表おいてる。それ見たら書いてる」
と壁にもたれた姿勢でスマホから目を外し、そのまま目だけを僕に向け、上目遣いで言い放ってきた。
僕は「うっ」となった。
「なんやこのおっさん。言い方ぶっきらぼうにもほどがあるやろ。あぁ…しんど。ここ来たんまちがいやった。しんどいわ、このじいさん」
僕は人を悪く思うことがほとんどないんだけど、さすがにこのときは怒りやら残念感やら不安感が渦巻き、心が重くなった。
で、僕はこういう少し怖そうな、近寄りがたい人を前にすると、とても委縮してしまう。
「嫌われてしまってるんかな」とか「仲良くなれるんやろか」とか心配になって心がズーンとなってしまう性格なのだ。
心がグルグルしているなか一度家族3人で部屋に戻ったタイミングで、じいさんのグチを吐こうとしたら妻の方から
「あのおじいさん、ちょっとやばない?」と言ってきた。
妻もあのおじいさんが苦手だったようだ。理由は僕と同じだった。とりあえずゲストに対する態度じゃないやろう、と。
妻にたいして、このゲストハウスにさそってしまったことを申し訳なく思った。
で、それからは夕食までずーっと心が重かった。
だがそのおじいさんやゲストたちと夕食をとり、みんなとの食後の団らん時間になると、そのおじいさんの様子が一転した。
じいさんがえらいペラペラと饒舌に話し始めた。自然のこと、暮らしのこと、自給自足のこと、数字の深い意味、男と女の話、仏教のこと、生きるということなどなど…
言っていなかったが、このおじいさんは、過剰なモノに溢れお金やら仕事やらストレスやらで、自分の好きなこともできないような生きづらいこの世の中を憂いて、自給自足的な暮らしをしているような人なのだ。
自然に近い暮らし、農ある暮らし、自給自足をしていたり、そんな暮らしに憧れている人たちの界隈ではかなり有名なおじいさんなのだ。
じつは僕もうつ状態で会社を休んでいる時に、何かの本でその人の考え方や生き方に感銘を受けて、じっさいに会ってみたいとゲストハウスを予約したのだ。
会社で成果とか成長とか評価とかにまみれてしんどくなっていた僕にとって、ストレス社会から離れた自然に近い暮らしとかがまさに希望になっていたのだ。
かなりこのおじいさんに会うことに期待していただけに、ぶっきらぼうに言い放たれた時はツラかった。
…のだけど、夕食後のそのじいさんの話は、まさに自分が求めていた話だった。
で、その日泊まるゲスト5人くらいがそれぞれ自己紹介することになったのだったが、僕はその時にこれまでの経緯を話していると思わず泣けてしまった。
で、おじいさんはその時もえらく優しい言葉をかけてくれた。それがまた心にしみた。
…のだが、冷静になった後から「なんだったんだ、あのギャップは」とも思った。
***
…少し話がそれたのだが、ひとまずそんな、マイペースなじいさんだった。
で、冒頭にも言った通り、こういうあまりにも周りに気を払えない、払おうともしない人、僕は正直苦手。
とくにここまで自分の気のままに振るまう人はそうそうであったことがなかった。
多分、うつ状態になる前の僕なら、「あ~なんかぶっきらぼうなじいさんで居心地悪かったな」で終わっていたと思う。
でも、この時はもう少し違う視点で「もうこの人は、おそらく、人になんと思われてもいいと心底から思えているんだ」といふうにも思えた。
本人に聞いていないので、真相は定かじゃないけど…
自分は自分が最も心地よい生き方をしよう、自然体に生きよう、だってどう動いてたってそれをいいと思う人も悪いという人も両方いるわけで、自分でコントロールできることじゃない
と、思ってふるまっているんだろうな。
その結果が、あの人目を気にしないぶっきらぼうあ加減や、夕食後のやさしさ加減なんじゃないか、と思った。
僕はこの時、これってまさにアドラー心理学の名著「嫌われる勇気」の体現なんじゃないだろうかと思った。
僕自身、周りが自分をどう思うか、どう評価するか、すごいと言ってくれるか、そんな周りの目ばかりを気にして、自分の心にうそをついて、鎧をまとって生きてきた結果、うつ状態となった。
どうして自分は人の目を気にしてしまうのか、どういう風に生きていったらいのか、いろんな本をよんだ。
そのなかにアドラー心理学もあって、すごい感動した。と同時に、アドラー心理学でいうような考え方や生き方に忠実に生きることはとても難しいとも思っていた。
だってやっぱり、僕にとって人から嫌われるのって本当にこわかったから。
人から嫌われてもいいっていうのは、言い方を変えれば、
「嫌われてでも自分の心に忠実に生きよう、そしてその結果がどんなでも自分で責任を負うのだ」と決意した勇気をもっている、
ということだと僕は思う。
僕が周りの目を気にしてしまっていたのは、自分の行動も決断も、そしてその責任をも、全てを自分以外の何かに委ねていたからだ。
べつにそれが一般的にいいか悪いかはどうでもよくて、僕にとっては、結果的にうつ状態へとつながる生き方だった。
だから、そういう勇気を持てている人ってホントにすげぇなと思っていた…ところにそのおじいさんと出会ったもんだから
僕は「うっ」となった一方で、「でも、このじいさんの生き方は、とてもかっこいい」と尊敬する気持ちもあったんだ。
だから、このおじいさんの自分の中でブレない芯がある(ように僕には見えた)生き方や振る舞いがとても印象に残ったのだと思う。
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