10分で読める「たけの物語」

  1. 期待と評価のために走り続ける人生、うすうす限界を感じていませんか?
    1. 僕の心の中にはいつも焦りと不安がありました
    2. でも、もがき苦しみながらも、「自分」と「暮らし」を深く見つめた先で
    3. 自分のホンネに嘘をつかずに生きていきたい
  2. 小学校、そこは僕が輝ける場所でした
    1. そのまま地元の進学校、国立大学、大学院に進学
    2. 入社して間もなく、僕の心には、静かな違和感が芽生えました
    3. 仕事もなかなか思うように進められませんでした
    4. やはり職場はいつもピリついていました
    5. やがて僕は、職場が恐くなっていきました
    6. そして、その日は突然やってきました
    7. 僕の日々は急に静かになりました
    8. でもホンネが見えず、焦る日々でした
    9. フリーランスの道もさがし、ライティング講座にも申し込みました
    10. それでも諦めきれず、ふと思い出した「小さく暮らす」を試してみようと思いました
    11. 僕は自転車5分の市民農園に通い始めました
    12. あらためて、僕は「本当にやりたいこと」と向き合いました
    13. 「ああ…自分は、あの感覚で生きていきたいんだ」
    14. そんなとき、僕は「半農半X」という生き方に出会いました
    15. 「暮らしの自給率を上げれば、そんな生き方も現実にできるんだ」
    16. でも一方で、現実的な「お金の壁」も感じていました
    17. 理想と現実のはざまで、妻との会話にもすれ違いが生まれていました
    18. そしてついに、ある日の夕食の席でぶつかりました
    19. 夜、ひとりリビングで考えました
    20. 「あぁ…オレって、本当の意味で自立してないのかもな…」  
    21. ――「自立」への願いと、「自立」に伴う「責任」への怖さ
    22. あの夜、僕の中でカチッとスイッチが切り替わりました
    23. 不思議なことに、拒否感のあった職場復帰への気持ちにも変化がありました
    24. ――あふれる涙で人生に光が途絶えたあの日から、はや1年半
  3. じゃあもう一度、聞かせてください
    1. あなたが被るその仮面、少しだけ下ろしてみませんか?
    2. でも、だからこそ、僕自身がとてつもなく小心者だからこそ!
    3. 今なお忙しないこの社会の濁流から、ちょっとの間だけ出てみて

期待と評価のために走り続ける人生、うすうす限界を感じていませんか?

「いいえ、まったく。周りなんて気にせず、毎日やりたいことやれてます」

そう言える人って、いったいどれほどいるんだろうか…

もし、ほんの少しでも「たしかに…」と感じた自分がいるなら、

きっとそれは、あなただけじゃないはずです。

なぜなら僕がまさにそうだったから。

理系の大学院を修了し、

大手メーカーの研究所に入社。

最先端のプロジェクトを担当することに。

それは、数年前の僕がまさに憧れたキャリアでした。

でも…見た目の順調さとは裏腹に、

僕の心の中にはいつも焦りと不安がありました

「期待に応えなきゃ」

「もっと努力しなきゃ」

馬車馬のように走り続けた先で、僕はメンタルダウン。

「こんな自分に、価値なんてあるんだろうか…」

本当は何がしたいんだ──

そう自分に問い続けても、一向にホンネが見えず、

動きたくても、動き出せない堂々巡りな日々に、

一時は希望を失いかけました。

でも、もがき苦しみながらも、「自分」と「暮らし」を深く見つめた先で

自給農のある、豊かでワクワクする

”ホンネと合致した人生”へとふみ出すことができました。

これを読むあなたは、

もしかしたら、“イイ子、デキる子”でいようと、

ずっと頑張ってきた人かもしれませんね。

  • 周囲の目に振り回され、息が詰まりそうになったり、
  • 成果や成長を求められる日々に、心がすり減っていたり。

──決して、大それた願いがあるわけじゃない。

  • ただ、もう少し心にゆとりを持ちたい。

──そして、心の底ではこう願っている。

自分のホンネに嘘をつかずに生きていきたい

もし、ひとつでも

「それ、自分かも」

と感じるなら、

これから話す僕の物語が、きっとあなたの心に何かを届けられると思います。

なぜなら、この物語は、ずっとその思いを抱き、苦しんできた

ひとりの「元・優等生」の人生だからです。

小学校、そこは僕が輝ける場所でした

勉強も運動もそこそこ得意で、学級委員を任されることもありました。

「頭いいな~たけちゃんは」

周りの大人から褒められて内心ニンマリ。でも、あからさまには喜びはしない。

かしこいのに、謙虚なイイ子。

僕はそんな優等生になろうと努めていました。

そのまま地元の進学校、国立大学、大学院に進学

まさにレールまっしぐらでした。

とはいえ、知的好奇心のままに実験できる大学院での研究に、僕は没頭しました。

大学院ではそのまま博士課程まで進学し、

その後、憧れだった”大手メーカー研究職”に。

順風満帆なキャリアをスタートできたぞ!

…と、そのはずだったのですが。

入社して間もなく、僕の心には、静かな違和感が芽生えました

それは入社後、初めて研究所のデスクを訪れた日のこと。

「はじめまして!よろしくお願いします。」

控えめに、でも、持ち前の明るさで挨拶した僕に、

先輩方はちらりとこちらに目をやり「あ、…ども」と、一言だけ。

「あ…そんな感じ?」

職場に流れるどこか殺伐とした空気に、

心がピクッと動いたことを今でも覚えています。

仕事もなかなか思うように進められませんでした

研究プロジェクトの実験チームに加わりました。

やった、実験できる!という期待ははずれ、

多くの時間は、上司やチームメンバーに計画や進捗状況を説明するための

「段取り」「計画」「合意形成」に充てられました。

これらは僕の最も苦手とする3大スキル。

作業ははかどらず、日に日に帰る時間は遅くなっていきました。

やはり職場はいつもピリついていました

みんな眉間にしわを寄せ、口数少なくPCに向かっている。

先輩が上司へオンライン報告。

終わるいなや上司が半笑いで言ったんです。

「あいつはダメだね」と。僕はハハハ、と空笑い。

また別の上司がどこかで舌打ちをしている。

どこかで、ため息交じりで注意する声が耳につく。

「ちゃんとやって」は何度も聞くのに、

「ありがとう」は全く聞こえてきません。

あれ、これってチームなんだろうか…

やがて僕は、職場が恐くなっていきました

苦手な業務に追われる日々。

でも、怖い上司にボロは見せられない。

「”デキる奴”でいなきゃ」

と僕は完全武装し、

「新人なんだから当然だ、早く結果を出して、役に立たなきゃ」

誰にも相談できず、ただ一人で乗り越えるしかないと

疲れも不安も感じないふりをして走り続けました。

不意に心がギュッとなり

「こんな働き方、つづくのか…?」

と感じる瞬間はありました。

でも、そんな違和感と向き合う時間すらない。

休むなんてもってのほか。上司に失望され、会社にいづらくなる。

気づけば、”評価や成果”にムチ打たれ、

止まることが許されない馬車のような日々になっていました。

そして、その日は突然やってきました

とある朝、会社に行こうとした瞬間、涙があふれてきたのです。

僕は突然、会社に行けなくなりました――

思えば、数ヶ月前から、妻にぽつぽつと弱音をこぼしていました。

「休んでも辞めてもいいよ」

そんな言葉に救われながらも、子どもも生まれたばかりで、

「休んでなんかいられない」と自分を追い立て、働いていました。

でも、とある会議の資料作成で

「間に合うか、怒られないか」と急に不安が止まらなくなり、

涙をこぼしている自分に気づいたとき

「あれ、なんかおかしいぞ」と、限界を感じていました。

そして、あの日の朝。

鉛のように重い身体をなんとか動かし、玄関に向かったとき、

抑え込んでいた苦しさが一気にあふれ出たのです。

「しんどい…もう嫌だ…」

嗚咽まじりに妻にそう漏らしました。

適応障害。

僕は休むことを余儀なくされました。

僕の日々は急に静かになりました

「いったい、なんでこうなったんだろう?」

職場や業務のしんどさはわかっていたけど、

それだけじゃない、もっと深い原因がある気がして。

「ホントは何を望んでいたんだろう?」

僕は生まれて初めて、こんな人生レベルの問いと向き合うことになったのです。

でもホンネが見えず、焦る日々でした

30代、子どものいる父親が、平日の昼間にソファでぼーっとしている。

そんな自分が、情けなくて仕方なかったんです。

「世の中の役に立たない自分に、価値なんてあるのか」

胸の奥に、静かにそんな思いが広がっていました。

それでも何か変えたくて、前に読んだダウンシフトの本を思い出しました。

競争社会から降り、田舎で小さく暮らす人たちの生き方。

「あの時、いいなって思ったんだよな…」

でもすぐに、「それは特別な人の話、自分には無理だ」と打ち消しました。

「やっぱりキャリアを活かして、ちゃんと稼がなきゃ」

フリーランスの道もさがし、ライティング講座にも申し込みました

でも結局、物書きの先に望む、本当に生きたい人生がなんなのか見えない。

それで講座のワークが進まず、挫折。

もう、どうしたらいいかわかりませんでした。

休んでいたらダメになる気がする。

けど、ホンネが見えないから動けない。

何をやってもうまくいく気がしない。

やっぱり会社に戻って、しんどい世界で踏ん張るしかないのか…。

でも、それじゃ何も変わらない。ダメだ。

こんな堂々巡りのなかで、当時の僕は、

もう生きることにさえ、希望を失いかけていました。

それでも諦めきれず、ふと思い出した「小さく暮らす」を試してみようと思いました

それは、かつてのダウンシフト本で見た、支出の少ない暮らし。

家の中を断捨離し、ムダな買い物を減らし、

たしかに部屋がすっきりするにつれ、心が少し軽くなるのを感じました。

「あ、これ、なんかいいかも」

調子づいた僕は、次に「食費」に目を向けました。

食を自給できれば、もっと生活コストを下げられるかも。

僕は自転車5分の市民農園に通い始めました

最初は鍬の持ち方すらぎこちなかった僕でしたが、

農園オーナーさんに教わりながら試行錯誤。

しだいに農の知的な奥深さを知り、

大学院時代、研究に没頭していた頃のワクワクがよみがえってきました。

そして、そんな畑には、妻や子どもと過ごす穏やかな時間も…

ちょっとずつ、気持ちが前を向くようになってきました。

あらためて、僕は「本当にやりたいこと」と向き合いました

ちょうどそのころ、自分を徹底的に深ぼりする自己分析ワークに出会い、

「もう一度、向き合ってみよう」と。

– 小学生までで一番嬉しかったできごとは?」

– 5年後、なんでも実現できるとしたらどうなっていたい?

– 最も幸福を感じるのはどんなとき?

――やっぱり、最初はなかなか出ませんでした。

でも、ノートに書き出し、妻と話しながら、

じっくりと過去をたどる中で、すこしずつ言葉になってきました。

そして、思い出してきました――

子どもの頃、レゴ遊びに没頭したこと。

大学院時代、顕微鏡で見える世界に夢中になったこと。

誰かに認められるためじゃなく、

ただ、「おもしろい!」という気持ちで動いていたあの頃の自分。

「ああ…自分は、あの感覚で生きていきたいんだ」

知的な好奇心を、穏やかな空気の中で、

子供のように、無邪気に楽しめる人生がいい。

互いの素を認め合える、愛のある居場所を作りたい。

ようやく、心から望む人生の方向性を見出し、

「ワクワクすることを、自分の軸で選びとっていきたい」

そう、小さな決意が芽生えました。

そんなとき、僕は「半農半X」という生き方に出会いました

畑を始めてから、味噌やジャムなど手づくりの幅も広がり、

暮らしの自給率が少しずつ高まっていた頃です。

農的な小さな暮らしをしつつ、

人それぞれに異なる才能を活かした仕事”X”で収入を得るライフスタイル。

「これだ」と直感しました。

もっとこの生き方を知りたい、実践者の話を聞きたい…

怖かったけど、勇気を出して著者に会いに行ったり、

半農半Xを実践する人をSNSで探して、現地訪問したりもしました。

印象的だったのは、子ども農業体験イベントで家計を支える2児のパパさん。

「今も色々と怖いことは多いけど、

少しずつやりたい形に近づいている。

たけちゃんもできるよ」

その言葉に胸が熱くなりました。

その方の他にも、不器用ながらに「どう生きたいか」を問い続け、

自分なりの道を歩む多くの方と出会いました。

そんな方たちのリアルな生き様と、

そして

実際に自給農をはじめてから、

暮らしをつくることで得られる豊かさと安心感を肌身で感じていた僕は

「暮らしの自給率を上げれば、そんな生き方も現実にできるんだ」

と確かな手ごたえを感じ、

「サラリーマンしかない」と思い込んでいた僕の常識が、

音を立てて崩れはじめていました。

でも一方で、現実的な「お金の壁」も感じていました

その頃には、おぼろげながらも

”自給農”でどうにか収入を得られないかなぁ

なんて思いはじめていました。

お金への依存度を下げる”暮らしの営み”でありながら、

知的好奇心を満たす学びがあり、遊びのようにおもしろい、

そして、家族との穏やかな時間にもなる、

そんな”自給農”のある暮らしの豊かさを誰かと分かち合えたら

もしかしたらお金になるかもしれない…

でも、その方法がわからず、悩みました。

結局のところ、僕の最大の敵は外ではなく

「それで大丈夫?」と自分を信じきれない自分自身だったんです。

理想と現実のはざまで、妻との会話にもすれ違いが生まれていました

「これからのこと、考えていたらいつでも教えてね」と聞かれても、

「畑で何かしたい…でも、まだ考え中」と曖昧にしか返せない僕。

妻は「農業バイトで勉強するのもいいんじゃない?」と提案してくれましたが、

僕は「もう何かに属したくないんだよな…」と反発。

理想ばかり語り、肝心なことは曖昧なままでした。

そしてついに、ある日の夕食の席でぶつかりました

妻の口からまた同じ話題が出るやいなや、

「分かってる、考えてるって!焦らせないでほしい」

刺々しく返した僕に、妻は口をつぐみました。

そしてじんわり涙を浮かべ、言葉を絞りだしました。

「私だって子どもともっと一緒にいたい。

でも、あなたのために、

仕事時間を増やしてでも転職しようとしてるのに…

自分のことばかり考えないで…」

その言葉が胸に突き刺さりました。

夜、ひとりリビングで考えました

そうだった…

妻はずっと僕の挑戦に寄り添い、

不安の中でも家族のために動いてくれていた。

そんな、妻の配慮と愛情に気づこうともせず、

僕はただ「自由に生きたい」と言いながら、現実から逃げ、

誰かに手を差し伸べてもらうのを待っていただけでした。

そして、思い出したんです。

大学院の博士課程への進学も、 

自分では決断できず、最後は教授に背中を押されてやっと決められたことを。

「あぁ…オレって、本当の意味で自立してないのかもな…」  

天井を見上げながら、そう、思いました。

その時、過去のできごとが次々と脳裏によみがえってきたのです。

本当は、自分で人生を選びたかったし、自分らしく生きたかった。

でもずっと怖かった。その責任を負うことが。

だから、

他人の評価で自分の価値を測り、 

必死に仮面をかぶって生きてきたんだ。

だからこそ、 

断捨離で暮らしが身軽になること、

農で自給レベルを高めることに、

どこか「自立」へと向かっている予感を感じて嬉しかったんだ。

そして、だからこそ、

自分の軸で生きる半農半Xの人たちにつよく憧れたんだ、と。

――「自立」への願いと、「自立」に伴う「責任」への怖さ

僕の人生の根っこには、すべて「自立」がありました。

わかった…もうこれは僕の人生のテーマなんだ。

向き合おう。もっと真剣に。

自分のこと、家族のこと、

暮らしのこと、仕事のこと、

心のこと、お金のこと、社会のこと。

小さくてもいい。

自立へと、一歩をふみ出そう。

あの夜、僕の中でカチッとスイッチが切り替わりました

そこから本気で、「心地よく暮らし、好奇心を満たし、お金も稼ぐ」道を探し始めました。

ヒントは「半農半X」的な暮らし。

そんな中、「遊暮働学」

──暮らしそのものが遊びであり、学びであり、仕事にもなる生き方を知りました。

情報発信によって「遊暮働学」の仕組みづくりを学べる講座を見つけ、

「これだ!」と直観。

今度は人生の方向性がハッキリしています。その直感に確信が持てました。

ライティング講座の失敗もムダじゃなかった!

妻に相談。いいんじゃないかな、と。

金額に一瞬のためらいがありましたが、

えい!っと、受講を決めました。

農業塾にも通い始め、1年後には自分の畑で仲間と楽しむ場を作る、

そんな目標もできました。

不思議なことに、拒否感のあった職場復帰への気持ちにも変化がありました

自給レベルを高め、暮らしにかかるお金を減らし、

人生における自分なりの北極星が見えたことで、

「どう転んでも、なんとかなる」

そう思えるようになっていたのです。

僕は復職に踏みきりました。

――あふれる涙で人生に光が途絶えたあの日から、はや1年半

かつては「また明日も仕事か…」とモヤモヤして寝床についていました。

でも今は、「明日は何しようかな〜」とニヤニヤして眠る日々となっています。

なぜなら、遊び感覚の農で暮らしの土台をつくれている安心感と、

自分の目指すべき”人生の方向性”が見えたからです。

不安はゼロではありません。

でも、その不安感をも含めて、未来が楽しみになっている感覚です。

僕は、この自身の経験と、

自給農の暮らしや、怖がりながらもホンネで望む自立的な人生へ歩む日々の中で、

色々試して学んだことを、同じように悩む人に伝えよう、

もしかしたらそれこそが、僕の「才能仕事”X”」なのかもしれない!

そう思うようになってきました。

僕はこんな風にして

「半農半X的にホンネ人生へとシフトする生き方」

を発信する今の地点にたどり着きました。

じゃあもう一度、聞かせてください

あなたが被るその仮面、少しだけ下ろしてみませんか?

  • それでも、被り続けますか?
  • 自分にムチを打ち続けますか?
  • 心の叫び、きっとあなたは気づいていますよね?
  • 「もう、しんどい」そう言っていませんか?

少しでも「そうかも…」と思ったら、

いえ、言葉にならずとも、何か心のひっかかりがあったのなら、

もしかしたら、僕が役に立てるかもしれません。

  • 「そうだよ、しんどいよ。でも今の社会じゃどうにもならんやろ」

僕も、かつてはそう思っていました。

でも、あなたもそろそろ勘付いているはずです。

もしかしたら、どうにかする道があるのかも、と。

はい。

僕は半農半Xのライフスタイルこそ、その道じゃないかと思っています。

  • 「田舎じゃないから、畑なんかないって」

いえ、都会のマンションでも道はあります。

  • 「そもそも、その”X”がわかんないです」

それは、あなたが気づけていないだけかもしれません。

  • 「どう生きたいか、なんて明確になるの?」

なります。その方法もありました。

  • 「でも、結局お金が不安でふみ出せないんだよなぁ…」

うん。ホンマに怖いですよね。

でも、だからこそ半農半Xなんです。

大きく変える必要はありません。

少しずつ、お金への依存を軽くすれば、一歩目のハードルが下がります。

  • 「それでも、やっぱり怖いです…」

そうですよね。

この人生の恐怖は、いとも簡単に足を踏みとどまらせますよね。

わかります。めっちゃわかります。

でも、だからこそ、僕自身がとてつもなく小心者だからこそ!

僕はメルマガで仲間を集めたいと思ったんです。

仲間となら、勇気をだせるかもしれないって。

この無料メルマガでは、僕が「たった一つの答え」を言うことはありません。

僕が自給農やホンネシフトをしようと実験する日々の経験をお伝えしながら

その中で身についた

考え方、気づき、仮説、疑問を投げかけ、

みんなで一緒に考え、

みんながそれぞれの”自分なり”を見出していく。

そんな場です。

どうでしょうか。

一人よりも、ちょっとだけ、安心しませんか?

今なお忙しないこの社会の濁流から、ちょっとの間だけ出てみて

僕と、そして、

同じように悩みを抱えながらも、

一歩踏み出したいと上を向く、

そんな仲間とともに、

あなたなりのホンネ人生、

一緒に探してみませんか?

安心して迷えるホームが、ここにあります。

メルマガ登録、その小さな一歩をふみ出すことを、

僕は願っています^^

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