- 誰かの期待と評価に追われる人生に、疲れきっていませんか?
- 子ども時代──「真面目でイイ子」だった僕
- 「優秀であれば愛される」そう信じて疑わなかった学生時代
- ギラついた仮面の下で、少しずつ感じる息苦しさ
- 順調なキャリアの裏で、心はすり減っていった
- そして、入社2年目のある朝。僕は心と体が動かなくなりました
- 静かに立ち止まって、見えてきたもの
- 「ワクワク感に従って生きたい。けど、お金が不安」のジレンマ
- そんなある日、ふと一冊の本を手に取りました
- 僕は人生で初めて畑を借り、野菜づくりを始めました
- けれどもやっぱり…
- 訪れた「人生テーマ」への気づき
- 「正解さがし」ではなく…
- そして、新たな一歩をふみだした
- かつての僕のように、頑張りすぎているあなたへ
- いつか“自分のリズム”で生きられるように
誰かの期待と評価に追われる人生に、疲れきっていませんか?
「いいえ、まったく。周りの目なんて気にせず、好きなことをやれてます!」
そう即答できる人が、いったいどれほどいるでしょうか。
もし、ほんの少しでも「たしかに…」と感じた自分がいるなら、きっとそれは、あなただけじゃないはずです。
なぜなら僕がまさにそうだったから。
理系の大学院を修了し、博士号を取得。
最高学位を手に、大手メーカーの研究所に入社しました。
希望していた部署に配属され、最先端プロジェクトの中核を任されることに。
一見すると順風満帆でした。数年前の僕からみれば、いいなぁと憧れるようなキャリアです。
でも…そんな見た目の順調さとは裏腹に、僕の心の中にはいつも焦りと不安がありました。
「期待に応えなきゃ」
「もっと努力しなきゃ」
まわりからはみ出たくはないけど、まわりよりちょっとだけ優秀でいたい。
そんな思いで走り続けるうちに、“デキるやつ”という仮面をかぶって、気づけば息が切れていました。
そしてたどり着いた先は、うつ状態。
もう、自分を偽ってまで頑張ることはできませんでした。
「こんな自分に、価値なんてあるんだろうか」
「もっと自然体で、ワクワクしながら生きられないものだろうか」
来る日も来る日も、そんな問いをくり返しては、もがく毎日。
それでも、長く暗いトンネルの先で「農」という小さな営みに出会い、
「暮らしを自らの手でつくる」ことこそが、「自由な人生」への道かもしれない
──そう思えた瞬間がありました。
あの時、ようやく、重かった一歩を踏み出すことができたのです。
今は、自分なりのペースで、自分に一番フィットする「半農ライフスタイル」を、実験しながら築いているところです。
はじめまして。
僕は当サイトを運営するただなおです。
最初に僕の簡単なプロフィールと経歴を紹介します。
- 関西の都会でも田舎でもない”とかいなか”出身
- 旧帝大の大学院(博士課程)を修了
- 世界的メーカーの研究職として勤務→メンタル不調で休職
- 妻と2歳男の子の3人で愛知県の”とかいなか”で暮らす30代前半パパ
- 現在は、心穏やかにワクワクで生きる暮らしをめざして、「半農半X的暮らし」を実験中
このページをここまで読んでくださっているあなたは、
もしかしたら、“ちゃんとした、優等生な自分”でいようと、ずっと頑張ってきた人なのかもしれませんね。
周囲の期待に応えようとするうち、息が詰まりそうになったり、
「もっと頑張らなきゃ」と、やりたくないことに追われたり、
成果や成長を求められる毎日に、少しずつ心がすり減っていたり。
人からの評価に一喜一憂する自分に、ふと疲れてしまったり。
──決して、大それた願いがあるわけじゃない。
ただ、もう少し心にゆとりを持って、 自分の本音に嘘をつかずに、生きていきたい。
そんなふうに思いながら、どうしたらいいかわからず、立ち止まってしまうこともあるのではないでしょうか。
もし、いまのあなたの中に、ひとつでも「それ、自分かも」と感じる部分があるなら、
これからお話しする僕の物語が、きっとあなたの心にも、何かを届けられると思います。
なぜなら、これから綴る物語は、まさにそんな思いを抱えながら生きてきた、ひとりの「元・優等生」の人生だからです。
子ども時代──「真面目でイイ子」だった僕
僕は小さい頃、勉強が得意で、テストではいつも上位でした。
スポーツもそこそこできて、通知表には◎が並び、宿題を忘れたことも記憶にありません。
学級委員や野球部のキャプテンを任されることもあり、
先生や友達の親からは「かしこいねぇ」「頼りになるねぇ」と褒められることがよくありました。
あからさまに喜ぶタイプではなかったけれど、その言葉に、内心とても嬉しかったのを今でもよく覚えています。
でも──
それは「僕がそうしたかったから」ではなく、
「そうでなきゃいけない」と、どこかで信じ込んでいたようにも思います。
もっと幼かった時の僕は、レゴブロックや科学雑誌の付録が大好きで、ただただ夢中で、何かを組み立てたり、観察したりしていました。
最初は「好奇心を満たしたい」──それだけだったはずなのに、いつしか「すごいね」と褒められることが嬉しくて、
気づけば「みんなにすごいと言われるため」に頑張ることが増えていったのです。
期待に応えるのが当たり前。
イイ子でいるのが当たり前。
真面目にがんばるのが当たり前。
空気を読むのが当たり前。
そうした“当たり前”を重ねるうちに、それが僕の“らしさ”になっていきました。
「優秀であれば愛される」そう信じて疑わなかった学生時代
小中高を通じて「優秀でいれば褒められる」と無意識に信じていた僕は、
学校でも塾でも部活でも、期待してくれる大人たちの期待を裏切らないように、努力を惜しみませんでした。
地元の進学校に進学し、みんなが言う”いい大学”のために勉強をがんばり、一浪の末に理系の国立大学へ。
大学3年間は、勉強にバイトにサークルに明け暮れる日々でしたが、正直言えば、なにかに打ち込むような熱のある日々ではなく、どこか虚しさもありました。
が、大学4年生で研究室に配属されると一転。
僕の中の”純粋な知的好奇心”に火がつきました。
自分の手足をつかって装置を動かし、あれこれ失敗しながらも、試行錯誤して自分のアイディアを形にできる”実験”が、レゴ遊びの延長のように楽しくて、
僕は大学院にそのまま進学し、もう毎日、目をキラキラさせて夢中になっていました。
でも──
それも長くは続きませんでした。
論文や受賞などの業績が出はじめ、「すごいね」と言われるようになると、またしても「評価されること」が自分の居場所になっていたのです。
「これができれば、先生たちをもっと驚かせられるかも」
「もっと努力すれば、皆からもっとすごいって言われるかな」
がんばっていれば、自分はもっと”デキる奴”に、”すごい奴”になれる。そう信じていました。
ギラついた仮面の下で、少しずつ感じる息苦しさ
けれど、鼻息荒くギラギラとはりきる表の姿は、心の奥でずっと感じていた「失望される怖さ」の裏返しでもあったのです。
研究の世界は「論理」と「正しさ」がすべて。
正解のないテーマに向き合うなかで、誰からも批判されないように。失望されないように。
「今度の学会プレゼン気乗りしないけど、断ったら教授にがっかりされるかな」
「どんなデータがあれば、批判されないかな…」
「この説明だと○○大学のあの教授に突っ込まれそうだから、少し言い方をかえよう」
こんなふうに、好奇心よりも、誰かの批判や失望を先回りで考え、事前に武装することが仕事のモチベーションになっていました。
間違えない自分でいようと、仮面をつけて常に戦闘モード。
僕は自分を追い詰めていきました。
気の進まない作業にも「これはスキルアップになる」と自分を納得させ、
ボロを出さないよう、努力を重ねる毎日。
そんななか、ふとした瞬間に、言葉にならない違和感が胸をよぎることがありました。
「なんか、胸が苦しいな……」
それでも僕は、それまでの自分を否定したくなくて、その違和感を深く見つめることすらせず、やり過ごしていました。
──間違ってはいけない。
──常に成長しなきゃいけない。
──努力を無駄にしてはいけない。
そんな思い込みだけを頼りに、修士課程を修了。博士課程へと進みました。
そして、博士号を取得。大手メーカーの研究職に就職したのです。
順調なキャリアの裏で、心はすり減っていった
希望していた研究プロジェクトに配属され、他社との共同研究を担うマネジメント業務にも携わるようになりました。
「この技術で成果を出そう」
そう意気込んでいた当初は、目の前の仕事に多少のやりがいを感じていました。
でも、周囲の目が常に気になる自分にとって、マネジメントは想像以上にストレスの多い業務でした。
人と人の間に立ち、意見を調整しながらプロジェクトを進めていく。自分の言動がチームの進捗に直結するような感覚。
最先端の、他社もからむプロジェクト。
「期待しています」
「ちゃんとやってね」
上司のそんな軽い言葉さえ、重く背中にのしかかってくる。
実際には新人の仕事で全てがきまる、なんてことあるわけないんですが、でも、そんなプレッシャーを感じつつ、
「苦手だなんて言っていられない。”博士卒”の即戦力として、期待に応えなければ」
そんな思いだけで、なんとか自分を奮い立たせ、必死に走り続けていました。
その姿は、まるで“期待や評価”にムチ打たれ、”社会”という主人に無理やり走らされている馬車のようでした。
やがて、僕は職場そのものが怖くなっていきました。
当時の僕はまだ、「自分はちゃんと頑張れている」と思っていたし、頑張り続けられると信じていました。
上司が厳しくなるのも、ビジネスの現場では当然のことだと、頭では理解していたつもりです。
でも──
ピリついた空気を感じながら苦手な業務をこなす日々の中で、少しずつ、上司のちょっとした言動に敏感に反応するようになっていきました。
やがて、誰か他の人に向けられたはずの批判や小言、ため息すらも、まるで自分に言われているかのように感じるようになり、
心臓がドキドキするのを抑えられなくなっていきました。
入社して2年目のころです。
本当は誰かに相談すればよかった。
でも、そういう物事のとらえ方、とか、メンタル的なことは自分でどうにか乗り越えなきゃいけないものだと僕は思いこんでいました。
弱音を吐くこと、素の自分を見せることを、自分自身が許せなかったのです。
そして、入社2年目のある朝。僕は心と体が動かなくなりました
会社のピリつきに過剰に反応するようになった自分の心身の変化を感じながらも
「社会ってそういうものでしょ…。子供も生まれたばかりだし頑張らなきゃ」
「仕事に慣れてくれば大丈夫、きっとどうにかなる…」
と、どうにか頑張って仕事を続けていた、ある日の朝でした。
仕事へ行こうと玄関に向かったとたん、涙があふれてきたのです。
「あぁ、もうむりだ…」
一瞬にして悟りました。
そして病院に行き、適応障害、抑うつ不安状態と診断され、休むことを決めました。
「まだ何も成果を挙げられていないのに休むなんて…」
「周りになんて思われるんだろう…」
そう思ってしまう自分もいました。それでも、もう限界。体と心が、完全にストップをかけていました。
静かに立ち止まって、見えてきたもの
僕の日々は、急にゆっくりになりました。
ようやく止まった毎日の中で、何も手につかず、ただぼーっとする時間が増えていきました。
「もう前みたいには働けないかもしれない」
「このまま、ずっと立ち直れないかもしれない」
そんな不安が心を覆いながらも、不思議と「このまま終わりたくない」という気持ちも、同じくらい強く残っていました。
それまで僕は、
──いかに大きな企業に入れるか
──いかに専門スキルを活かすか
──いかに成果を挙げるか
──いかにキャリアを積み上げるか
そんな、社会が教えてくれた指標を鵜呑みにして、その中でただひたすらに上を目指して走ってきました。
はずかしながら、自分自身が本当は何をやりたいのか、どう生きたいのか、なんて考えたこともなかった僕にとって、
休職期間は、はじめて自分自身を深く見つめる時間でした。
気分が少し落ち着いた日には、ひとりで図書館に行って、心理学やキャリア論の本を読みあさったり、ノートに思いつくまま心のうちを書き出してみたり。
「自分は何のためにこんなに頑張ってきたんだろう」
「本当は、どんな人生を送りたかったんだろう」
ぐるぐると、何度も同じような問いを繰り返しては、しばらく考え込んで、またため息をつく。
すぐに答えなんて出るはずもなくて、「考えすぎだ」と自分にツッコミを入れたくなるような日もありました。
でも──
そうして時間をかけて、自分の内側と向き合ううちに、少しずつ、
自分の“ほんとうの願い”みたいなものが、かすかに浮かび上がってくるのを感じました。
それは、かつてレゴや研究に夢中になっていた頃の、あの純粋な好奇心。
誰かに認められるためじゃなく、「ただワクワクする」からやっていた、あの頃の感覚。
評価のために何かをするんじゃなく、 “自分の感覚”を大切にして生きていきたい。
ちゃんとしなくても、すごくなくても、ありのままの自分でいられる時間や空間が、もっとあったらいいのに。
それは決して「怠けたい」とか「逃げたい」という気持ちじゃなくて、
「心からワクワクすることを、もっと自分の軸で選びとっていきたい」
──そんな、生き方の、小さな決意の芽のようなものでした。
「ワクワク感に従って生きたい。けど、お金が不安」のジレンマ
でも…
「お金は必要だ。だったら、イヤなことも我慢して働くしかないよな…それが今の社会だ」
心で願う理想と、現実的な問題とのあいだで揺れつづけ、答えは見つからないまま、悩む時間だけが過ぎていきました。
そんなある日、ふと一冊の本を手に取りました
それは、以前、仕事の合間に何気なく読んでいた「半農半X」というライフスタイルについて書かれた本。
生きるために不可欠な食べものは「農」で自給し、暮らしに必要な最低限のお金は、得意で楽しい「仕事X」で稼ぐ。残りの時間は、自由に使える。
──そんな暮らしの提案でした。
以前は「こんな風に生きれたら、今よりラクに生きれるんだろうか」と興味は持ちつつも、
「今まで積み上げてきたキャリアを手放すなんて、さすがに無理だ」とすぐ本を閉じました。
でも、このときはページをめくる手が止まらない。胸の奥がざわついて、
「これって……実は今の自分が本当に求めている生き方なんじゃないか」
静かだけれど確かな直感が芽生えたのです。
「ダウンシフト」「自給自足」「ミニマリズム」──
気づけば、似た価値観の本を次々と読みあさり、実際に著者に会いに行くこともありました。
それまで僕は
「自由に生きれるのは少数派の人だけ。僕みたいな一般人は結局、会社で働き、ストレスがあっても我慢して、生活や昇給のために努力するしかないんだ」
と信じつづけ、それが僕の”常識”でした。
でも、お金に振り回されず、農のある暮らしのなかで軽やかに、自分の軸をもちながら、周囲に流されずに選択して生きるその人たちの存在を知ったとき、
僕の中にあった、”常識”という固い壁に少しずつひびが入っていきました。
そんな人たちに、僕は憧れと尊敬の気持ちを抱かずにはいられませんでした。
僕は人生で初めて畑を借り、野菜づくりを始めました
最初はほんの小さな好奇心。
「とりあえずやってみよう」くらいの気持ちで、近くの市民農園で畑を借りました。
案の定、失敗ばかり。トマトは1房も実らないまま枯れてしまいました。
でも、野菜づくりにかかわる微生物や自然界のメカニズムに知的好奇心がくすぐられて、とても面白い。
自分の手足をつかって、あれこれ考えながら実験できることも自分の特性に合っていて、おもしろい!
気づけば夢中になっていました。
また、土に触れ、汗をかきながら、自然と向き合う農の時間は、会社で心をすり減らしていた日々では感じたことのなかった、じんわりとした安らぎを運んでくれました。
ある日、手を土に触れたとき、ふっと肩の力が抜けるような感覚があったんです。
理屈ではなく、体が「これかもしれない」と言っているような──。
そして、農作業や子ども向けの農体験のお手伝いのボランティア、農ある暮らしを体験するプログラムに参加したりもしました。
そのなかで「農」や「自然」を生活の一部あるいは”ナリワイ”とし、
「半農半X」ライフスタイルで嬉々として生きる人たちに出会いました。
肩に力が入っていなくて、自然体。それに楽しそう。でもその言動には芯があって、地に足がついている。
ひび割れつつあった「この社会で生きるにはやっぱりレースに勝たなきゃ」という僕の中の固い常識は、
ワクワク軸で生きる彼らとの出会いによって、バラバラと崩れはじめていました。
そして、心を壊すまで頑張って働いていたときには見えていなかった「希望」までも感じ始めたのです。
「暮らしを自分の手でつくれば、今まで必要だと思っていたお金の多くはいらなくなるかもしれない」
「そうすれば、“歯を食いしばって稼ぐ”ことから自由になれるかもしれない」
「もっと自然体で、自分のペースで生きられるかもしれない」
本で読んだ世界が、少しずつ「実感」に変わっていきました。
けれどもやっぱり…
現実的な「お金」の問題に直面すると、不安が押し寄せてきます。
完全な自給自足は難しい。食べ物は自給できても、他にどうしてもお金が必要なことはある。
「お金を稼ぐための仕事」をどうするか、結局いきつくのは、お金の問題でした。
もう心がついていかない仕事はしたくない。
でも、いきなり会社を辞めるのは怖い。
かといって、会社員に戻れば、また評価や成果に怯える日々に逆戻りなのでは……。
理想は、今いちばん心が動く“自給のための農”そのものが「X」になること。
自分がただただ面白いと夢中になってやっているだけで、人から感謝されてお金をいただけるなら、それが一番いい。
でも、それでどうやって収入を得ればいいのか、見当もつかない。
「何が正解なんだ……」
そんなふうに、ぐるぐると悩む日々が続きました。
訪れた「人生テーマ」への気づき
そんなとき、これまでずっと僕を支えてくれていた妻と口論になってしまいました。
今後の仕事のことを聞かれたとき、焦る気持ちがそのまま態度に出てしまったのです。
実はこの頃、妻は僕がいつ会社を辞めてもいいようにと、今より帰宅が遅くなるけれど好待遇の会社への転職を考えてくれていました。
本当は、小さな子どもとの今しかない時間を大切にしたいはずなのに……。
その気持ちを飲み込んで、家族のために動いてくれていたのです。
あとから冷静になり、自分の幼さに情けなさを感じました。感謝も伝えず、子どもの前で子どものように反発していた自分。
そのとき、ふと思ったのです。
「オレって、本当の意味で自立できていないのかもしれないなぁ」
その瞬間、これまでの人生の色んな記憶がぶわぁっと頭によぎりました。
── 先生や上司に褒められたくて頑張っていたこと。
── 周囲に失望されたくなくて、必死で取りつくろって生きてきたこと。
── 成長やキャリアアップという“正しそうなこと”に流されていたこと。
── 人の評価、そして職場がだんだん怖くなっていったこと。
── ”生き方の正解”を外側に求めて、ぐるぐる悩んでいること。
あれ、これって全部、精神的に「自立」できていなかったからではないか?
もう成果や評価を追いかけて生きるのはしんどい。
自分の心にフタをして生きるのも、もう嫌だ……だけど、
── 収入が減るのが怖い。
── 会社を辞めるのが怖い。
それは、経済的に「自立」ができていなかったからではないか?
と。
だからこそ僕は、世間に流されず、自立したライフスタイルを自分の意志で選び、日々を生きる人たちに、心の底から憧れたんだ。
振り返るほどに、僕の人生の紆余曲折は、すべて「自立」への願いと、「自立」への怖さが根っこにあったんだと確信しました。
──「自立」は、僕の人生のテーマなのかもしれない
「正解さがし」ではなく…
そう気づいたとき、それまで「会社を辞めるか辞めないか、どちらが正解か」と悩んでいた問いにも、新しい視点が生まれてきました。
これまでと同じように、これから先に起こる紆余曲折もきっと、
「自立した人生」を形にしていくための課題なんだ。
だったら、今すぐに“正解”なんて見つからなくてもいい。
というか、そもそもただ一つの正解なんか、一生かけても見つかるものではないのかもしれない。
だって、正解を求める自分のなかの”基準”そのものが、生きていく中で変わっていくんだから。
就活していたときには大事だと信じていた
「専門性を活かせて、キャリアも積みあがりそうで、そこそこ高給で、有名な企業」
という指標は、うつ状態となった今ではあまり重要ではなくなりました。
だったら、そのときそのときの自分の気持ちに正直になって、「”自分が”より心地よく生きるには、どうすればいいか」を考えて、軌道修正していく。
そうしていけばいい。
……そうか、「実験」すればいいんだ。
そして、新たな一歩をふみだした
自分にとって最適な生き方を探る、これは”人生”という名の”実験”。
自分の手で試して、改善していく。
大学院時代に夢中になって取り組んでいた研究のスタイルを、そのまま暮らしに応用していけばいいんだ。
「正解かどうか」に固執することはない。
ただシンプルに
── これからは、自分の心に素直になって日々ワクワクして生きる
── そのために、自立したライフスタイルを追い求める。
── その一歩目として、今一番ワクワクする自給農をおもいっきり楽しむ。
そのなかで、どうすればそれでお金をいただける仕事になるのか、
どうすれば、無理なく、自分がやりたいことをワクワクしながらも、周りのみんなにも感謝されるような仕事、そして、そんな暮らしができるのか、
実験しながら、探していけばいいんじゃないかな。
そう思えたとき、心がふっと軽くなる感覚がありました。
長いトンネルを歩いた末に、ようやく、そう生きていきこう、そして、この実験の日々を、同じように悩むだれかに届けよう、
そう決めることができました。
そして、僕は”自分なりのライフスタイルを目指して、実験していこう”と新しい気持ちを胸に、
ひとまず元の職場へ復帰をすることに決め、新たな一歩目をふみ出したのでした。
かつての僕のように、頑張りすぎているあなたへ
僕の物語は、すごく個人的で、何十億人いる世界の中の、たった一人の人生です。
けれど、その過程で感じた痛みや戸惑いは、きっと、あなたの中にもあるものかもしれません。
誰かの期待に応えようと無理を重ね、心を病み、正解にとらわれ、たくさん悩んで、たくさん迷って、それでも「自分の足で立ちたい」と思い続けてきた先に、
僕は「自給農」という小さな暮らしの営みに、自分らしいライフスタイルを築くヒントを見いだしました。
少しずつ、自分の手で、自分の暮らしをつくっていこうと思えたのです。
土を耕し、季節のめぐりに寄り添い、人と人との温かな交わりに感謝しながら、自分の足で立って生きる働きかた、暮らしを自分の手で模索していく。
「で、それで、どうやって稼いでいけるわけ?」
僕の頭には、すぐ答えを求め、その声にいちいち不安を覚える自分がいます。
でも、これこそが、まだまだ僕が自立できていない証なんだと思います。
ワクワクを軸に、自給農を起点に、自分で感じ、自分なりに変え、フィットさせていく。
完璧でなくてもいい。
日々のできごとを”小さな実験だと思っておもしろがれる、”ほんの少しの勇気”があればいいんだと、僕は思います。
いつか“自分のリズム”で生きられるように
少しずつ、できることから始めればいい。
我慢して、成果を出して、ちゃんと評価されるように働く――
そんな生き方に疲れて、
「本当は、もっと自然体で、自分の“ワクワク”を大切にしながら暮らしたい」
と願った僕は、いま、暮らしの一部を自分でつくる“自立的ライフスタイルの実験”を始めています。
無邪気に楽しんでいることが、誰かの役に立って「ありがとう」と言われて、それが自然と収入にもつながっていく。
そんな”ライフワーク”のある暮らしを、家族とともに穏やかに育てながら生きていける未来を信じて、 一歩ずつ、試行錯誤しています。
もちろん、まだその暮らしを完成させたわけではありません。
「会社に縛られずに生きたい」と願いながらも、収入や不安に揺れながら、いまも道の途中にいます。
けれど、だからこそ僕は、このブログを通して──
“競争と成果至上”に疲れた自分が、「自分の心が動くこと」を起点に、
暮らしと仕事をつくり直していく道のりを、リアルに綴っていきたいと思っています。
誰かに勝つためじゃなく、評価されるためじゃなく、
ただ自分らしく、手を動かし、仕事と、そして、暮らしを育てていくこと。
それがめぐりめぐって、誰かの役に立ち、「ありがとう」とつながるような、そんな世界。
この「まだ道半ばの試行錯誤」が、もしもあなたにとっての「こんな歩き方もあるんだ」と思える、
小さなヒントになれたなら、それ以上にうれしいことはありません。
あなたに一番しっくりくる生き方を、人生という研究フィールドで、実験しながら探してみませんか?
その肩にはいった力を、すこし、ゆるめて、生きてみませんか?畑と。
この場所が、その第一歩のヒントや灯りになれたら、心からうれしく思います。